「じっとしてて下さいませんか、お嬢さん。おっことしちまう」
わざとらしくお嬢さんと呼ぶその顔が小憎らしい。
言葉遣いもやけに丁寧で薄気味悪い。
「だったらおろせ!」
「無理言わないで下さい。せめて下までは辛抱していただかねぇと」
「いいからおろせ!」
「こんな急な土手で?そりゃ暴挙ってもんですよ?」
おまえがおれを抱え上げていること自体が既に暴挙だ。それに気付け!
周囲には人だかり。
暴れて下りることも出来ぬ。
頼りのリーダーはまだ戻らない。
まったく…まだ花火を一つも見ておらぬというのに。
今日は厄日か?
やはり、この話断るべきだった。
「La Vie」1
珍しく所用で家をあけずとも良かったので、朝早くから取りかかっていた書き物が仕上がりかけ、次に何をするべきかと頭の隅で考え始めた頃のことだ。
どたどたと足音を立てて凶事はおれのところに飛び込んできた。
ー銀時。
「ヅラぁ、いるか?」
「人の家にずかずか入り込んでおいて、いるか?もないものだ」
居間の襖を開けたのだから、見れば判るはずなのに、銀時は挨拶代わりのようにそう叫んだ。
全く、文句の一つも言いたくなるというものだ。
「んだよ、いるならいるって一言言えばすむんじゃん」
思い切り不服そうに言うと、銀時はどっかりとその場に座り込んだ。
「なんの用だ?」
「んー?おれ、今夜仕事なんだよね」
「商売繁盛で目出度いではないか」
「だろ?でもよ、おかげで困ったことになっちまってよ」
「断る」
即答だ。
その困ったこととやらを聞かされると、おれも困ったことになりそうな禍々しい予感がした。
予感、というのは正確ではない。
経験上、そうなるのを知っている、と言うべきか。
「ちょ…おれまだ何も言ってないんですけど?」
「貴様がこんなに朝早くおれを訪ねてきて、あまつさえ座り込むなど、話が長引くと思っておるからだろうが!」
銀時の長話など碌なものではない。
君子危うきに近寄らず。
「あー、まぁそうなんだけどよ…」
そう言って、ちょっと俯き加減になって頭をぼりぼりと掻き始める。
どうやら当たりだったらしい。
「図星か。帰れ!おれは忙しい身だ」
本当はそうでもないのだが、そう言っておくにこしたことはないはずだ。
「ちょ、ちょっと待てよ。話くらい聞けって…」
「聞くだけ時間の無駄だ。帰れと言っている」
「ちょっと待てって!困ってるってぇのは、おれのことじゃねぇんだ。や、おれも困ってるんだけど、一番困るのは神楽なんだ」
「リーダーが?それは一大事ではないか。詳しく言え、銀時」
銀時ならともかく、リーダーが困っていると聞かされては、話の先を促さないわけにはいかない。
「なぁに、その扱いの違い?」
納得いかねぇとかなんとかブツブツ言いながら、銀時はやや早口で、今朝になって急な仕事が入ったから、
自分の代わりにリーダーを花火大会に連れて行って欲しいのだというようなことをまくし立てた。
新八君も花火大会には行くのだが、らいぶすてーじに用があるとかでリーダーの世話は頼めないから、と必死に言うので
無礙に断るのも可哀相な気がしたし、銀時もたまには保護者らしい事をしようとしていたのだと感心もした。
それに、リーダーと出掛けられるのも悪くない話だと思ったので、おれは渋々ながらもその話を受けた。
「…さっきおれは忙しい身だとかなんとか言ってませんでしたっけ?」
ホッとした様子を丸出しにしながら、それでも憎まれ口を叩くのが銀時らしい。
全く腹立たしい男だ。
「不服か?忙しいには違いないが、リーダーのためとあれば致し方あるまいよ」
だからおれも、わざとリーダーを強調して言ってやった。
「やっぱ納得いかねぇ!なに、その違い?」
「ではもう一度キッパリ断ってやってもよいぞ?」
「…とんでもねぇ。露店での買い食いを楽しみにしてんだ。行けないとなったら神楽の奴、荒れるに違いねぇ。おれの命と家財道具が危ない」
本気で心配しているらしく、銀時は青くなって首を振ってみせる。
「なら、ごちゃごちゃ言うな」
「………わーったよ。頼みます、お願いします!」
「よーし、引き受けてやる。有り難く思え」
「なんでそんな偉そうなの………それはさておいて、ヅラ…わかってんだろうな、おめぇ」
「何をだ?金か?おまえに甲斐性がないことは百も承知だ。露店の買い食いの代金くらいおれが持つ」
「ちげぇよ!立場だよ、立場!お尋ね者って自覚あんだろうな!?」
「言われなくともわかっておるわ。どうせ真選組がうようよいるような場所だ。警備と称して花火見物にうつつをぬかしておるだろうが、一応ちゃんと変装をしてだな…」
「…ちなみにヅラさんはどんな格好で行くおつもりですか?」
「ヅラではない、桂だ。いつもの僧衣でよかろう」
「莫迦ですか、おまえは!莫迦だろ、莫迦なんだな!?」
「莫迦ではない、桂だ」
「そのワンパターンな返しがすでに莫迦なんだよ。いいかヅラぁ、坊さんが少女を連れて歩いている図なんて洒落になんねぇんだよ。どんな生臭だよ?絶対人目惹くって!」
銀時にしては珍しく鋭い指摘だった。
「む。それもそうだな…ではキャ…
「バッカ野郎!!」
キャプテンと言い終わりもしないうちにその案を却下された挙げ句、軽く殴られた。
頼み事をされた挙げ句殴られるのは理不尽だと思うのだが、仕方がない。
相手は銀時だ。
もっと幼い内にしっかり礼儀を躾けておけばよかった。
この年になるともう矯正はきかぬ。
困ったことだ。
結局ヅラ子で行くと約束させられたことも間違いの元だったらしい。
花火が始まるまでの間、嬉しげに露天を巡るリーダーを眺めながら歩いているだけだというのに、女だと侮られてか、行く先々で酔っぱらいに絡まれた。
その都度リーダーが一撃で黙らせるのだが、どうしても騒ぎになるのは避けられず、そそくさとその場を退散する羽目になるのが困りもの。
加えて、酔っぱらいと同じくらい煩わしいのが真選組だ。
一応仕事はしているらしく、騒ぎの度にどこからともなく駆け付けてくる。
見咎められないうちに姿は消せるが、周囲に気配があるだけで鬱陶しい。
一匹いると七匹はいるというのは、こやつらのことだったか…とおれは花火の始まるずいぶん前からすでにうんざりしはじめていたのだ。
銀時の話を受けたのは確かにおれの意志だった。
だが、今朝はまさかこんなことになろうとは夢にも思ってなかったわけで…今更ながらリーダーの話が出る前に銀時を追いだしておけば良かったと
少し…いや、かなり後悔している。
「あ、せっかくだから露店の金もよろしく頼むわ」
ちゃっかりそれだけを言い残し、あたふたと出ていく銀時を止めて断っておればこんな羽目にはならなかったろうに!
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