「La Vie」2


突然、わあっという声が聞こえて思わず空を見上げた。
花火の時刻にはまだ間があったし、まだ明るすぎたのだが。
何ごとが?と周囲を見渡すと、わずかに離れた場所に人だかりが出来ていた。
おまけに先ほどドングリ飴を買いに走ったリーダーが戻っていない。
嫌な予感を覚えて人垣をかき分け、何が起こっているかを確認すれば、当たり前のようにそこにリーダーがいて、なぜか少女を車椅子ごと担ぎ上げていた。

夜兎の力を持ってすれば児戯にも等しいことだが、そうとは知らぬ者たちからすれば恰好の見せ物というわけだ。

「おまえら、邪魔アル!そこを退くネ」

リーダーに一括されて、ざわめきがおこったものの、誰も退こうとはしなかった。むしろ、出来なかったのだろう。
場所はそう広くはない土手の上、おまけに花火を見ようと集まってきた人の流れは増える一方、何が起こっているか見えない者たちからすれば、通行の妨げになっている見物人がただ邪魔で、怒声めいたものまで聞こえてくるしまつ。

なんとか混乱を収めなければ。
遅かれ早かれ鬱陶しい連中が駆け付けて来るだろうし、なによりこの人込みでは事故の元だ。

「リーダー!」

届くか、と懸念しながらあげた呼び声は、それでも無事に彼女の耳に届いたようで、キョロキョロと声の出所を探し始めたのが見て取れた。

ぐっと手を伸ばして再度呼びかけると、おれを見つけたらしい少女は
「なんとかするアル、ヅラぁ!この子、踏みつぶされてしまうネ!」
と車椅子を更に高く上げて見せた。

人込みも危ないが、あの高さのほうが危険だ。
車椅子の少女の顔色が悪いのは、半分以上はリーダーのせいに違いない。
とにかく、あの少女を無事に降ろすことが先決。
しかし一体どうしたものか…と思案しながらなんとか二人の方へ近づこうとするものの、なかなか思うようにならない。
おしあいへしあいする人込みにうんざりして、いっそ手持ちの爆弾でも使ってやろうかと思ったが、当然そんなことをすれば事態は悪化するだけ。
それでもジリジリと人込みの中心部に辿りつつあったその時、ピリリリリリリリ!という甲高い音が耳障りに響いた。
どうやらとうとう嫌な連中を呼び寄せてしまったらしい。

姿は見えないままだが、それでも、威圧的ななにかの存在を周囲に知らしめた成果か周囲の人の流れはある程度緩慢になった。
何が起ころうとしているのか、みな多かれ少なかれ不安や緊張を抱いたものらしい。

「はいはーい、そこどいて」

聞き覚えのある剣呑な声が聞こえてくる。
いかにやる気のなさで定評のある沖田とはいえ、この程度のことは任しておいてもよかろう。
おれは咄嗟に動きを止め、目立たぬよう群衆の一人と化そうと努めた。

「なぁにやってるんだ、チャイナ」

「見てわからないアルか!この子、この人込みの中で前にも後ろにも行けず困ってるネ」

「おれにはおまえがその子を怖がらせているようにしか見えねぇよ」

「なに言うか!おまえも一応警察なら危なくないようになんとかするヨロシ」

「言われなくてもそうするところだ」

沖田は、そう言い返すと、どこからかいつものバズーカを持ち出して
「はーい、歩行者は二列で右側通行、足元に気を付けて途中立ち止まらずに進んでくださーい。ちゃんとお巡りさんの言うことを聞きましょう」
と叫び、ドスの効いた小声で
「そうじゃないと、どうなるかわかりやせんぜ?」
と付け加えた。

隊服効果か川上に行く者、川下に行く者の二つの人の流れが細い土手の左右に出来、どうにか順調に人が流れ始めた。
その流れに沿ってそのまま姿を消してしまいたかったが、生憎リーダーと車椅子の少女が中州のような形で取り残されているためかなわず、覚悟を決めて、近寄った。

「リーダー、もう大丈夫だから、その子を降ろせ。そっとだぞ」

「わかったアル!」


「あんまり喋らない方がいいですぜ」
声は、誤魔化しがききやせんからねぃ。

いつの間にか側に来ていた沖田がぼそりと言う。
この場でおれを捕らえる気はないと告げているつもりらしい。

「借りとは思わんからな」

「なんのことですかぃ、ヅラ子さん?」

にやりと意図的に口元に浮かべた笑みは、相変わらず黒い。
好むと好まざるとに関わらず、この埋め合わせは要求されるに違いない。
正直うんざりするのは否めないが、ここで捕り物を始められると周囲に迷惑ー当然、おれにも、だーがかかるので、今はよしとしよう。
もう、沖田に用はない。
別の隊服が現れると厄介だ。
早々にリーダーを連れてこの場を離れるべきだ。

あの時、おれはそう思ったのだ。

なのに

そっと地上に降ろされた少女は、それでも相当怖い思いをしていたらしく、先ほどよりももっと顔色が悪く見えた。
早く人通りの少ない所で休ませなくては、と 考えた矢先、あろうことかゆっくりと車いすがゆっくりと動き始めた。どうやら恐怖で身体を強張らせているらしい少女がブレーキをかけるのを失念したとみえる。
さもありなん。

「ブレーキだ、リーダー!ブレーキをかけろ!」

「どれがブレーキかわからないアル!」

「あー、メーカーによっても色々ですしねぇ。しかも一カ所とは限らねぇから気を付けるこった」

焦るおれ達にお構いなしで、悪ガキがのんびりした口調でなんの役にも立たないアドバイスをくれた。

スピードは出ていないので、人波で止まりはするだろう。怪我人も出るまい。
が、それでも早く止めてやるにこしたことはない…なによりこれ以上怖い思いをさては不憫だ。

「とりあえずレバーがあったらそれを引っ張れ、チャイナ!」

「まて、迂闊に触るより、車椅子を押さえて先に動きを止めるほうがよい!」

「よし、見つけたアル!」

生憎、おれの言葉より先に沖田の言葉が耳に入ったらしく、うおおおおおおおおお!とリーダーの雄叫びが聞こえ、力いっぱいレバーを引っ張るのが目に入った。
それで止まればよかったのだが…。

か。車椅子を制御不能にしたあげく、ほんの僅かとはいえスピードを加速させもした。

仕方がない。

大事にいたる前にーと走り込んで、なんとか少女の身体を確保するとほぼ同時に車椅子を足で止めた。
ぐきっとおれの足が嫌な音をたてたのは空耳に違いない。
そうであってくれ。

頼むから。



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