※「シュンポシオン 銀時の場合」と「シュンポシオン 桂の場合」の続きです。


「杪秋の翳り」


「驚かねぇの?」
「なぜそんなことを訊く?」

かつてあれほどにまで慣れ親しんだ気配に今更たじろぐ桂ではない、と知っていながらの第一声。
桂もまた、それを重々承知しているからこその問いを投げる。
銀時はそれに答えず、ずかずかと無遠慮に歩み寄ったくせに、ぎりぎり桂に手の届かない距離で歩みを止めた。
銀時は桂に手をさしのべられたことで、全てを許されたと思ってはいるはず。ここを訪れたのがその証。けれど、一足飛びに長きにわたる絶縁をなかったことに出来ないほどにはまだ臆病らしい。

どうやら少しは恥というものを知ったらしいな。それとも、おれが気付いていないだけで、なにか銀時を躊躇わせるようなものでもあるのか?

桂はどこまでも観察者としての視点を忘れない。謀の首謀者は、ひたすらことの成就のみを恋い慕うもの。

まだだ。せっかくたぐり寄せたよすが、二度とこの腕からすり抜けていってしまわぬよう、ここで気を緩めてはならぬ。

「……遅かったな」
桂は、言外に待っていたことをにおわせながらゆっくりと振り向いた。
離れて過ごした数年間の壁は思いの外厚く二人の間に立ちふさがりもするが、時としてあっさりと姿を消す。その変幻自在さに翻弄されるのは実は銀時ただ独り。桂は言葉巧みに銀時を操ることで、その壁を出現させたり、一度も存在したことがなかったかのように完全に消し去ったりする術師でなくてはならない。 今、まさに桂の言葉によって目に見えぬ壁が取り払われ、銀時は、母親に巡り会えた迷い子のように勢いよく桂に取り縋った。その素早い動きに煽られた蝋燭から勢いよくあがった油煙の、黒い煙を透かして見る銀時の姿は、なんだか しょぼくれた痩せ犬のように情けない。

相変わらずおれには平気で弱さを晒す……、か。

さすがに憐憫の情を催し、首筋にあたっている好き勝手な方を向く銀髪に労るように手を添えてやると、銀時は叩かれでもしたようにびくりと身を震わせた。惑うように揺れる紅い双眸を桂は真っ直ぐに見据え、 「大丈夫、おれはどこにも行かん」抱きしめ返しながら耳元で告げると、熱い涙が滑り落ちてきた。

ー本当に他愛のない。

ぎりぎりと締め付けられるような抱擁を受けながら、桂はどこまでも冷静だ。むしろ、銀時が桂をかき抱く腕に力を込めれば込めるだけ、ますます桂の心は醒めていく。

今のおれはよほど心根が冷たいとみえる。薄汚れたーとは銀時にしては上手いことを言ったものだ。

ゾッとするほど冷淡な歪みを口の端に浮かべながら、それでも桂は銀時を金輪際逃さないための策を弄し続ける。
手始めに首筋にあたる銀の和毛に労るように手を添えた。弾かれたように顔を上げた銀時の戸惑いに揺れる双眸には、宥めるような極上の笑みをくれてやる。
何か言おうと開きかけた唇に伸ばした人差し指をかすかにあてがい、首を左右に振ってみせた。何も言わなくていいと。聞かずとも、おれはおまえのことならなんでも解ると言わんばかりに。
まじろぎもしないでただ桂を見つめる銀時に、ここぞとばかりに翻弄する桂。仮に主導権を握る争いをしているのであれば、勝敗は火を見るより明らか。銀時は桂に抗う術を持たないどころか、いいようにあしらわれていることにも気づけない。 あの日、桂が手みやげを持って万事屋を訪れたときから、全てが桂の術中にあることにも。

どうにか涙の乾いた両頬を掌で包み込むように触れてやりながら、「ぎんとき」と、愛おしむようにゆっくり名を呼べば、案の定あっさりと銀時は己を見い、再び桂に寄り縋ってきた。 今し方まで胸中を渦巻いていた様々な葛藤ー悔恨に贖罪、怨恨、愛憎、不安と期待といった感情ーの、それら全てを瞬時に放擲し、ただ一つ、残された思いの丈を桂にどうにかして知らしめようとして……。

狂熱の下僕と化した銀時は気付かない。
銀時のなすがままになりながらも、桂自身は銀時が望むものを与えようとしないことに。
しなやかな指で触れてくれはしても、幼い頃と同じようにそろそろと髪を撫でてくれはしても。決してその背に腕が回されることもなければ、同じだけの一途さで接吻をかえすことはない。 艶めかしい吐息を漏らしても、銀時への想いを欠片も語ることがないことに。

いつか。
そう遠くないある日、銀時が全てに気付いたらー

その時から地獄が始まるだろう。
貴様だけの無間地獄。

来たるべきその時を思って、桂は初めて心からの笑みを浮かべた。


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