「椋 と 雁」前篇


「帰れというに!」
響き渡るような声に驚いたのだろう、庭で辛抱強く嘴で土を掘り返していた鳥が飛び立った。
可哀想なことをしてしまったという悔いがその行き先を目で追わせたが、あっという間にどこかへ消えてしまったようだ。
ほう、と小さなため息を一つ吐くと、桂は縁に転がる招かれざる客を睨み付けた。
「鳥が逃げてしまったではないか」
「おれのせいだって言うんですかぃ?」
よいせ、とおよそ若者らしくないかけ声を上げ、そのく機敏な若者らしく勢いよく起き上がった沖田は、いかにも心外だという風を装って肩を竦めているが、なに、いつもの傲岸さは変わらない。
「そうだ」
「そりゃ、あん……桂さんのせいでしょうが。責任転嫁はよくありませんぜ?」
「貴様がさっさと消えれば不用意に大きな声などあげはせんかった」
拗ねたように言うのが沖田には面白い。
「それが間違いなんでさぁ。追い払うべきは大人しくしてるおれじゃなく、庭を荒らす邪魔者ってのが筋でしょうに」
「大人しい、だと?」
さも嫌そうに眉間に皺を寄せ、
「貴様と鳥を比べるな、鳥に謝れ。それに、あれは庭を荒らしていたのではない。餌になる虫を探しておっただけだ。こんなところで油を売っているどこぞの狗とは違う」
眉間にクッキリ皺を寄せ、叱りつけるように言う。
「こりゃまた随分な言われようだ」
沖田は楽しげにクツクツと笑い、
「そんなにおれが邪魔ですかぃ?」
ずい、と顔を思い切り寄せて問うた。
「当たり前のことを訊くな」
あからさまな挑発に微塵も臆さず、眉一つ動かすことなく桂が返す。
「なら、さっさとー」
「断る!」
みなまで言う隙もなく断られた。これで、何度目だろうか。軽く七、八度目は超えるだろう。
自分も大概粘るが、桂も相当にしぶとい。
それでもーと沖田は思っている。
いつもならとっくにキレて光り物でも持ち出していそうなものなのに、未だその気配がないところをみると、桂も口ほどには嫌がってはいないのかもしれない、と。


沖田が桂のもとを訪なったのはかれこれ半刻前。桂が隠れ家を移す毎に、沖田はこうやって訪ねてくる。時期はまちまちだ。 越してすぐの事もあれば、桂が居着いてゆうに数ヶ月は経ってからのことも。おそらく沖田が自分の新しい隠れ家を把握するのにかかった時間+αだけ、訪問の期間が開くのだと桂は思っている。 が、家移り先を毎回どうやって嗅ぎつけているのかはさすがの桂にも解りかねる。
解らないといえばもう一つ。沖田がこうやって訪ねてくる目的だ。

空腹を訴えてみたり、茶を所望したりするかと思えば、ただ黙ってボーッと寝転がっていることも。 似たようなことを沖田よりはるかに多い頻度でやらかしてくれる訪問者がいることもあって、桂のスルースキルは低くはないが、 その男が一応腐れ縁の幼馴染みであることが周知の事実であるのに対し、沖田の方は仇敵であるのが困りもの。 桂自身の戸惑いよりなにより、外聞が甚だよろしくない、てか悪い。
訪ねてくる時は私服とはいえ、曲がりなりにも真選組一番隊の隊長、顔も知られている。見る者が見れば素性は簡単にバレる。 お互い拙いことこの上ないのに、沖田はこの訪問を止めない。
桂が何度隠れ家を移そうと、何度言い聞かせようと、時には刀を持ち出してキレてみせても知らぬ顔。
今日も今日とて眼前でピシャリと扉を閉じてやったのだ。 なのに、気付けば上がりこんでいる始末。もちろん、桂自身が扉を開けてやってるからに他ならないのだが、そうせざるを得ないように上手に追い詰められるのが不愉快極まりない。
先ほどは、「他聞を憚る預かり物」を持っているといかにも意味ありげな顔をするので仕方なくーという為体。
で、肝心の預かり物というのが、重要書類でもなんでもなくただの書簡で。しかも名を見るまでもなく筆跡だけで充分に察せられる差出人が、仇敵の仲間だという好ましからざる状態。 表書きに果たし状とでもあればまだ様になるが、そこには水茎も鮮やかに 己の名があるのみ。正直、その辺に放置しておく気満々だったのを沖田に悟られたらしく、すぐに読むことと、返事を書くことを強要された。
「断る」
当然、そうこたえた。
けれど沖田はどこ吹く風。懲りずに何度も催促をしてくる。何度断っても暖簾に腕押し。理不尽なことに対して、もともと忍耐強くはない方だ。しかもー
「だーかーらぁ、手ぶらじゃ帰れないんでさぁ」
毎度しれっと言い返す不貞不貞しい輩もとい幕府の狗ーの不貞不貞しい子どもが相手なら尚のことだ。
それでも、沖田を追い払うのに常ほど積極的でない自分に気付いてもいて、桂は困惑している。沖田に気取られないよう気をつけてはいるが、内心は自分でも不思議でたまらない。 普段ならとっくに刀を持ち出している頃だというのに、一向にその気にならないのは何故だろう。
次、と桂は心密に決めた。
次に、沖田に急かされれば、押し切られた風にして読んでみるかと。 いい加減押し問答に焦れてきているのと、実のところ桂としても興味が無くもないので。
一体全体あれほど無口な男が、わざわざ何を告げようとしているのだろうか?


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