「椋 と 雁」後篇


ほう、これは。

沖田からの執拗な催促を渋々容れる態で桂が問題の書簡を手にしたのは、それからしばらく後。
整然と並ぶ文字と素直な文体。丁寧に継がれた紙。それらを一瞥しただけで解った気がした。
両手に広げた書面いっぱいに、二心のない思いが込められているだろうことが。
思った通り、男はただつらつらと書き連ねている。
日々の暮らしの中で見つけた季節の色や、風の匂い。
聞き覚えたばかりの新しい言葉や手に取った書物のこと。
そんな取り止めのない小さなことばかりを、思いも寄らぬ細やかな感性で綴っている。
書ではかなり饒舌な質らしいことは見て取れたが、これといった用件は一切排除されている。だからこそ、まるで故郷にいる古なじみにでもしたためたかのようですらある。
桂もまさにそんな気持ちを味わっていたのだが……。

「おい」
「へぃ?」
間の抜けた返事を返しながら、探るような目つきは鋭い。疚しいことでもあるのか、癖なのか測りかねる。
「なぜ貴様がこれを持ってきた?」
桂は沖田の目をじっと見つめて言った。
「頼まれやしてね」
「誰にだ?」
そりゃーと言いかけるのに、
「ここにおれの居所が解らないのと、人目を憚るので万事屋に仲介を頼むというようなことが書いてあるのだが?」
書の末文を示し、畳みかけて軽く睨めれば、
「なんでぇ、そんなことまで書いてありやしたか」
失敗失敗。
たじろぐことなく笑って言うのが面憎い。
「終兄さんが経机の上で珍しく筆をはしらせてたんで、つい興味がわきやして。ひょいと横から覗いてみたら、ハッキリと宛名が書いてあったんでさぁ。その、あん……桂さんのお名前が」
これを屯所で書いたのか。しかも、こんな奴に見咎められるような場所で!?
さすがの桂も驚きを隠せない。
「普段なら、おれなんかに見つかるようなヘマはしねぇ人なんですがね」
沖田ですら困ったように言う。
その言い様に一切の棘が含まれていないことに桂は驚いた。
てっきり手酷く皮肉るだろうと思っておったのに。
どうやら「兄さん」と呼ぶだけのことはあって、沖田なりに敬愛しているものらしい。
「あんまり没頭してるんで、つい魔が差しやしてね、どうやって渡すつもりか素で訊いちまったんでさぁ。そしたらあからさまに動揺された上に頭まで抱えこまれちまったんで、助け船のつもりで……」
「貴様から万事屋に渡すことを持ちかけたのか?」
呆れて問えば、
「そうでも言わねぇとあの人のことだ、ひょっとしたら書くだけ書いて満足しちまうとこだったかもしれねぇでしょう?」
それじゃあ、面白くならねぇーといつもの黒い笑みを浮かべる。
「悪趣味な奴だ」
「悪趣味ついでに、どんなことが書いてあったんですかい? おっと、勧進帳はなしですぜ?」
「案ずるな。貴様らのことなど微塵も書かれておらん」
適当に誤魔化すつもりが先に釘を刺され、桂は咄嗟にそう取り繕った。が、別段嘘を言ったわけではない。
「そんな心配なんざしちゃいませんや。ただ」
「ただ?」
「ただ、筆を執ってる時の兄さんがあんまり」
「あんまり?」
「なんていいやすか、こう……鬼気迫ってちょいとばかりおっかないというか」
おっかないだと?この、小童が?
「脂汗まで浮かべて目は血走って」
マジでか!?
「ちょいと妖しげなオーラが立ち上ってましてね。興味をもつなっていうほうが無理ってもんでさぁ」
……。
さすがの桂も唖然としかけたが、すぐに思い直した。
あの男のことだ、たいして不思議なことではないかもしれん。
いや、むしろー。
その様を思い浮かべるとしっくりきすぎて実に、実に……。
くすり
堪えたはずが、顔いっぱいに人の悪い笑みを浮かべていた沖田が何かにつられるように鳶色の瞳を瞠ったので、桂は自分が笑みをこぼしてしまったことを知った。
「やめておけ」
居住まいまで正し、殊更厳めしく告げた。
「好奇心猫をも殺すというではないか。そもそも奴に言った通り万事屋に預ければよかったのだ。そうすればおれも貴様の顔を見ずにすんだ」
「さっきまで兄さんの様子に興味津々でおれの話を促してたのは、どこのどな……」
いつもの調子で揶揄するように言いかけたものの、わざとらしく刀架に視線を遣る桂に気付いた沖田はすぐに話を打ち切った。
が、
「余計な波風は立てないほうがいいと気を遣ったんつもりなんですがね」
ニタリと笑う。
珍しく殊勝なことだと感心していた桂だったが、どうやらからかう方向性を変えただけだったようだ。
もちろん腹は立つ。しかし沖田の言うことも道理だ。
仕事とはいえ手紙を届けさせ、あまつさえ返事を託せば銀時に痛くもない腹を探られるのに違いない。
「じゃ、返事の方は万事屋のダンナにってことで?」
桂が嫌がることを知っていてだめ押しのように言う。心底面憎い。その上ー
「やっぱりおれが適任じゃねぇですかぃ?」
したり顔に腹立たしさも倍増だ。
それでも、それしかないと桂も思う。
「仕方ない」
「じゃ、後日取りに伺えばいいんで?」
ここを沖田に知られた以上、桂はここを早々に立ち退かねばならない。つまり、沖田の言う後日とは、新しい隠れ家にも顔を出すという宣言に他ならない。
それは嫌だ。
待つように伝え、渋々、文机を取り出した。
ちちっ!
今度は文机の脚を起こす音に驚いたのだろう、いつの間にか舞い戻っていたらしい鳥が鋭い鳴き声を上げて再び飛び去った。
ー踏んだり蹴ったりだ。
「あーあ、また逃げられちまいやしたね」
「出て行けばいい者が居座り、去って欲しくないものが行ってしまう。この世はままならんな」
軽口に桂が皮肉いっぱいの軽口で返せば
「鳥とおれを一緒にしちゃいけないんじゃなかったですかぃ? それに、今は待てと言われたからこうやって待ってるだけさぁ」
いかにも不服そうに少し拗ねてみせる。が、本性を知っているだけに全く可愛いくない。
「嘴が黄色いところだけは同じだな」
「くどいようですが、追い払うべきは大人しくしてるおれじゃなく、あいつら害鳥でさぁ」
「あいつらではない、椋鳥だ。街中ではともかく田舎の方では益鳥のようなものだぞ」
「へぇ。あれが椋ってぇやつですかい」
「なんだ、知っておったのか」
「いえね。いつかお相手願いてぇと、ふと思っただけでさぁ。椋鳥がお嫌なら、千鳥でも鵯でも」
軽口のつもりが、桂を見つめる目につい熱がこもった。
「お相手? どういう意味だ? おれは椋鳥も千鳥も鵯も大好きだぞ?」
いつの間に書き上げたものか書簡を突き出しながら、桂が的外れなことを言う。
沖田は宛名書きのないそれをちらりと見遣り、
「そういや雁ってのもありやしたが……」
わざと言葉を濁し、探るような目で桂を見た。
「確かに。書簡は雁書や雁札、雁の使いなどと言うな」
桂はどことなく優しい口調だ。珍しい。沖田の言い様を機智とでも捉えたのかもしれない。もちろん、怒りはおろか戸惑いも一切見られない。沖田が匂わしていることを本気で理解していないらしい。
鈍いお人だ。
「さっきの話ですが、折を見て万事屋のダンナにでも訊いてくだせぇ。まかり間違ってもうちの兄さんに手紙で尋ねたりしないでくだせぇよ。あのお人にはこっちの雁だけで充分。他はー」
桂から預かった手紙を懐に入れながら、
「ちぃと早すぎまさぁ」
それだけ言って、立ち上がった。
「銀時? なぜ銀時だ? 銀時は鳥にさほど興味はないと思うが……。して、早いとは?」
まだ首を傾げている桂だったが、
「確かにお預かりしやした」
沖田は一礼で話を切り上げた。



それなりに人目を忍んでの帰り道、気付けばあちらこちらの庭先で餌を探す椋鳥たちの姿が見られることに気付いた。
にしてもー。
いい歳して物知らずも大概にしてもらいてぇ。
ーでも、まぁ……。
桂がバカ正直に万事屋に問えば、鉄拳を喰らうことは間違いないだろう。そして、桂はきっと万事屋に訊くに違いないのだ。
可笑しくてたまらないと思いながら、微かな痛みを感じてもいて沖田は狼狽えた。
それはその様がまざまざと思い浮かんでしまったからでもあり、懐深く忍ばせている書状のせいでもあって……。
いずれも自分の蒔いた種に思いがけず意趣返しをくらった形だ。
おもしろくもねぇ。
思わず懐のものを握りかけハッとして止めた。
危ねぇ、危ねぇ。
この苛立ちをぶつけるには、もっとうってつけの奴がいるじゃねぇか。
おれがこんなものを持っていると知ったら、土方の野郎……。

新たな犠牲者にあたりをつけた沖田はようやく気を取り直した。
こいつを待ってる人がいる。
先ほどまで口元に浮かべていたシニカルな微笑みを消し去った今、沖田はひたむきな目で仲間を思うただの青年だった。
もう椋鳥に気をとられることなく、一心に屯所へと向かう。
巣で休む習性をもたない鳥と違い、彼には戻るべき場所がある。


戻る目次へ前話へ