「道はそれぞれ 別れても」 その15


は。
っ、ん。
万事屋に辿り着いて早々、ブーツを脱ぐのももどかしく銀時は桂を掻き抱いている。
辺りは静まりかえり、時折桂の苦しげな吐息と、銀時の飢えて引きつったような嘆声が響くのみ。

異世界からの訪問者たちの見送りをすませた後、銀時は源外のラボを真っ先に辞そうとする桂を目敏く見咎め万事屋へと半ば無理矢理連れ帰った。
桂は忙しいと散々渋ったが、
「すいません、桂さん。ぼくらもううんざりなんで」
新八の一言と、神楽に醒めきった視線を送られるにいたって何事かを悟ったものらしく、今の今までそれなりに従容として銀時のなすがままにされていたのだったがー
「いい加減にせんか!」
帯に手をかけられるや、天パ頭を強かに打ってきた。
「なにしやがんだ、莫迦ヅラ!」
「莫迦ではないしヅラでもないわ!てか、莫迦は貴様の方だろうが。ここはどこだ?そして、あれはなんだ?」
「何遍もおんなじこと言ってよく飽ねぇな。こっちはいい加減耳にたこができそうだ。もうできてっかも」
文句を言いながら、それでも桂がビシッと指し示している方に視線を遣ればー
ここは玄関の上がり口だったし、玄関の戸を背景にして、鼻緒だけでかろうじてひっかかっている桂の草履が宙にぷらりと揺れていた。
あー。銀時はなんともいえないような声を出してポイポイと草履を抜き取り、ついでに剥がした足袋もろとも三和土の片隅にうっちゃった。が、それだけ。銀時には場所を変えるつもりはないらしく、再び桂の帯に手をかけた。
「お、おい銀時!」
「んー?どったの?」
銀時は狼狽えて暴れる桂が愛おしくてたまらない。もっともっと焦らせたくて、大げさにとぼけながら手は止めない。
「よせと言うのに!」
「よさねぇ。知ってんだろ?」
銀時……呆れ声は力ない。が、抵抗は止まない。
「いい加減にしろ!こんなところでがっつくな!」
朱に染まった目尻や耳朶が、責める言葉を裏切っているのに気付かずに、桂は無駄に抵抗を続ける。
……困った。
すげぇ可愛い。
久しぶりの逢瀬ーという可算ポイントを差っ引いてもかなり可愛い。
やばい。おれの目と頭、どっちもやばい。
こいつ、おれと同じおっさんなのに。
普通、見目形が全く同じで十近くも若い子と一緒にいたらどうしても見劣りしちまうのが普通ってもんじゃねぇの?
なのに、なぁ……。
やっぱ可愛いっておかしくね?
銀時が抱え込んでいる桂をまじまじと見ていると、急に動きを止めた銀時を訝しんだらしい桂が不思議そうに見上げてきた。
「なんだ?人の顔をじっと見て。気持ち悪いぞ」
心底嫌そうだ。眉間に深い皺が刻まれている。
うわ、やっぱ可愛くねぇ。
そう思うのに、への字に曲げられた口やふくれて普段より丸みを帯びている頬の稜線に気付いてしまうともういけない。
あああああ、なんなんだろうなー、おれ。なんなんだろーなー、こいつ。
「あーやだやだ。おれもいつかあんたみたいになんのかねぇ」
銀八の言葉が鮮やかに蘇る。
あー、なれなれ。てか、なるに決まってんじゃねーか。とっととおれみたいになっちまえ。
幼馴染みの腐れ縁だろうが、恩師と教え子だろうが、桂小太郎相手におれらみてぇなのが勝てるわけねーじゃん。 惚れた弱みなんて生やさしいもんじゃねぇ。出会っちまった瞬間から、ありとあらゆる意味で負けが確定してんだよ。立場なんてくそくらえ。
「銀時?本当にどうかしたんじゃないのか?腹でも下したか?」
桂が小首を傾げている。
「なんで腹下し限定なんだ、この莫迦ヅラ!」
銀時はポカリと手加減なしの一撃を桂の脳天に食らわせた。
「貴様〜!」
即座に返してきた拳を避けきれず、もろに顔面で受け止めてしまいながら、銀時は思った。
最初っから護らせて貰える立場の銀八が羨ましいと言った心に偽りはない。けど、やはり自分たちはこうでないと。はじまりと同じようにいつまでも、どこまでも同じ立ち位置であり続けてこその自分たちなのだと。
だから。せいぜい置いてかれないようにしねぇとな。あんたも、おれも。
「なぁ、ヅラ。あいつら無事に……
ふん。
ヅラと呼ばれてと言い返しもせず、頷きもせず銀時にみなまで言わせず桂が鼻で嗤った。挑むような目の輝きが、決まり切ったことを訊くなと告げている。
桂がそう信じているのならー。
「そーだな」
銀時があっさり納得するとは思っていなかったのか、桂は驚いたようにパチパチと瞬きをした。
そんな稚い仕草に魅入られ、誘われるように、銀時は微かな産毛の光に縁取られた頬にそっと掌を這わせた。


ねぇ、先生と桂が訊いてきた。声には奇妙なエコーがかかっていてやけに反響するし、普段よりオクターブほど高くてまるで機械音のようだ。
三人が連れだって収まった時には真っ暗だった装置の中は、銀八には解らないダイナモっぽい"何か"の音が耳障りに響き始めるに伴って発生した、なにやら得体の知れない光の帯でいっぱいになっている。 眩すぎるその光のせいで、三人とも輪郭が幾重にも重なって見える上にやたら白っぽく、声以上に存在自体が作り物めいていて非現実的ですらある。
居心地悪っ!チカチカして目眩もするし、悪酔いしそうだ。
こっち来る時こんなだっけ?もう少しマシじゃなかったっけ?改良してこれ?
銀八は不快で仕方がないのに、
「さっき、坂田さんとどんなお話をされてたんですか?」
桂は屈託無い。こんな異様な環境も平気らしい。
さてな、忘れたというのが銀八の弁。
「おれらみてぇないい加減な男が覚えておく価値があるような会話すると思う、ヅラ君?」
ヅラじゃありませんという桂の言い分ともども、軽くはぐらかし、
「"瞬間"移動という割に、えらく時間かかってんじゃね?」
平賀先生に話を振った。
とにかく不快で、この状況を一刻も早く終わらせたいというのに。
「人間死を覚悟した瞬間に、それまでの人生を走馬燈のように見ると言うじゃねぇか。これも過ぎてみればあっと言う間の出来事ってことになんだよ」
「不吉なこと言うんじゃねーよ。てか、そーゆーもんなのか?」
「こっち来る時だって体感時間はそれなりだったはずだ。が、覚えてねぇだろ?」
「マジか?」
や、やっぱおかしくね?おれが文系脳のせいなの?
首をひねる銀八の隣で桂も不思議そうに小首を傾げている。
担任になって以来、もう何度も目にしてきたこの癖。なのに、未だに目にする度に胸を締め付けられるような、むず痒いような不思議な感覚に囚われる。むろん、こんな不快な環境の中にあってもそれは同じ。
ひょっとしたら、あの人も同じ癖があったかもしれねぇな。口癖が同じくれぇだし。
だったら、あいつも、あの人を見てこんな気持ちになったことがあるんだろうか?
あんだろうな。
なにせ、あっちは幼馴染みだ。おれなんか比べものにならないくらい、何度も何度も同じ思いを味わってるのに違いない。
それを哀れんでいいのか羨んでいいのか、銀八は解らない。
「そういえば、俺たち、いつに戻れるですか?」
桂が小首を傾げたまま、平賀先生に訊いている。確かに、大事なことだ。
「わしがあっちを出た直後狙いだ。みんなは、わしを見送ってすぐ、わしら三人の帰還に立ち会うことになるってぇ趣向だ。どうだ、感動的じゃねーか」
からからと笑う。
そうですね、と桂もどこか暢気に笑った。
なんなんだ、こいつらはよ。
耐え難い吐き気をなんとか堪えている銀八とはえらい違いだ。
おれはもう、一分一秒だってこの状況に我慢なんねぇってーのに!
どうにか気を紛らわせようと煙草を取り出せば、安全上の問題があるとか何とかで平賀先生に取り上げられてしまった。
「煙草程度で安全性が揺らぐような危ねぇもん造ってんじゃねぇよ!」
「心配いらねぇ、大丈夫だ」
「なにが大丈夫なわけ?その根拠を三十文字以内で教えろ、句読点込みで!」
「先生、先生」
完璧に八つ当たりモードに入っている銀八の肩に、桂が宥めるように手を置いた。
「先生、ほら、あれ」
桂のぼんやりした指が示しているのは、三人の足元にうっすらと映し出されているビジョン。
ゆらゆらと形の定まらない不安定なそれは、徐々に輪郭をくっきりと浮きだたせていき、やがて明確な形象ー複数の人物像ーを成すに至った。
「おー、みんな揃っとるみたいだな」
嬉しそうな源外の声を待つまでもなく、銀八の目にもその姿は段々ハッキリと映っていった。
坂本と理事長は、額を付き合わせるようにして何事やら相談している様に見える。桂の不気味なペットもオロオロしているー様に見える。 土方は気遣わしげな様子で、忙しく腕を組み直しているし、すぐ隣にいる近藤は今にも泣きそうな顔だ。普段ポーカーフェイスの沖田までもが、微かではあるが眉根を寄せている。
「俺、風紀委員のみんなと敵同士なんかじゃなくてよかったです」
桂が銀八にだけ聞こえるような小さな声で言うのとほぼ同時に、彼らを取り巻いていた光の帯が霧散し、替わって眩い閃光が彼らの全身を包み込んだ。 視界がクリアになった時には、銀八、桂、平賀先生の三人は、彼らを待ちかまえていた人々を前に、ごく普通に立っていた。
どちらからともなく、声が上がり、桂は文字通りクラスメイトの元へすっ飛んでいった。
「そーだな」
遅ればせながら、揺れる黒髪に銀八が頷いた。
ヅラはもちろん、あいつらの誰にも剣なんて持たせたくねぇもんだ。おれだって持ちたくねぇし。
今思えばあそこは悪夢のような世界じゃね?あいつらで斬り合うなんて。しかもー
「国のためとあらばおれでも躊躇無く斬るだろうしよ」
銀時の言葉が思い出された。
マジ、とんでもねぇよな。
銀八には、桂が自分を殺めようとする場面など想像もつかない。どう考えてもそれは修羅場というより、悪い冗談か三文芝居にしか思えない。
けど、あちらさんたちにはそれが現実、か。おー、怖い怖い。
そもそも、あれに刀なんて持たせたらー、揺れる黒髪に目を奪われながら、銀八は思う。
心配で心配で寿命が縮んじまわぁ。おれにいくら命があったって足りゃしねぇ。ほんと、よく耐えてるよ、あんた。
それでもーと銀八は重ねて思う。桂さんはともかく、少なくとも坂田銀時は幸せなんだろう。
なんたって"初恋は純の醇なるもの。それきりで終わる人は誰よりも幸福な人"っつーからな。
うん、そうに違いねぇ。
「やれやれ、一件落着ってぇところだな」
平賀先生が銀八を見上げていた。
「でも、どーすんだ、これ?」
銀八が役割を果たし、今は沈黙を守っている装置に目を遣りながら訊いた。 ヤバイ物には違いない。扱いには相当の注意が必要だろう。いや、隠蔽には、か。
「あそこにいる連中が騒ぎ出す前にぶっ壊す。奴ら絶対に、自分たちにも使わせろと言い出すに決まってっからな」
「大賛成……けど、あんたそれでいいのか?」
だって、一応すげー発明じゃんか。珍しく。
あっちの源外も了承済みだと平賀先生は笑った。
「わしらはこの旅が成功したことで充分満足だ。天才は過去にはとらわれねぇ。あくまで新しいもんにチャレンジし続けるもんだ。次はタイムマッシーン造りってぇとこかな」
「ほざいとけ」
がははーとなおも陽気に笑う平賀先生に軽口が言えるくらいには銀八の気分も回復してきた。
なによりもー
「よかった〜、桂!」
噎び泣く近藤を宥める桂に、二人を取り囲んで見守っている生徒たち。彼らの穏やかな表情にここ数日の辛労が報われる思いだ。誰も彼も、実にいい顔をしている。
ヅラやあいつらといられんのもあと数ヶ月、か。
"彼らにとって絶対に必要なものはお互いだけで、お互いだけが、彼らにはまた充分であった"
おれらもそうありてぇもんだ、漱石さんよ。いや、坂田銀時さんよ。
柄にもなく感傷的になりそうな気分を煙草の煙とともに流し去るように、銀八は、彼の生徒たちの方へ悠然と歩いていった。


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