「鳥と名と」 34


「ほんき?」
「神社と同じですよ、銀時。あの場所にいて禰宜や権禰宜、権宮司と名乗り、呼ばれ、そう振る舞うーふりをするーことで、いつの間にか自分は本物だと思ってしまったのかもしれませんね」
あるのだろう、そんなことは。だって、あそこがそうだったのだから。
「そういうものかもしれませんよ。中には、初めから本気で信じてしまっていた方すらおられたかもしれません」
お気の毒にーなにもかも知っているように松陽が言った。
「だから、みなさん幸せだったのかもしれませんよ。あなたを本当に神の子になれる子どもと信じていたとしたら。ええ、きっとそうですよ銀時。みなさん、あなたのお世話を喜んでしていたはずです。 怪我をしたら心配もし、風邪を引いたらお粥を用意してね。お金であなたを売りはしたのですが、それも、本当にあなたなら村を救えると信じていたのだとしたら、 あそこにいた人たちにとっては、お金はそれほど大事なことではなかったかもしれません」

けれど先生は、おれがほとんど姿を見ることのなかった権宮司は違うと言った。権宮司だけはなにもかもを承知していたはずだと。 他に何人、事実を知っていた者がいたかは知らないが、ひょっとしたら権宮司以外の禰宜や権禰宜は自分たちのことを正真正銘の禰宜、権禰宜であると信じていた可能性がある、というようなことも。それは、多分 主として権宮司の手腕によるだろうと。おれが権宮司をみなかったのは、白神神社を本物の神社として立ち行かせていくための工作を余所で行っていたからではないか、とも。 おそらく権宮司は創建者に連なる者であったのだろう等々。
権宮司があれやこれやとやらかしてくれてたという話はともかく、いくらなんでも権宮司をはじめ禰宜や権禰宜がおれの世話を損得なしでやってたとは考えられない。 しかも、それで連中が幸せだったなんて。少なくともマジに神社ごっこをやらかしてた奴がいたなんて。
それでも、やはり信じてしまってもいる。そのほうが、おれとしてはまだ気が楽だし、なにしろおれにそう言ったのは他ならぬ松陽先生だったのだからー。
無論、今となっては真実など知る術もない。なにしろー

「本当のことはもう判りませんけれどもね。なにしろあそこにおられた方々は……」
「……死んだ」
みんな、みんな。
「さぁ、それはどうでしょう?」
松陽は話し方を変えることなく言った。
それは判りませんよ、と。
「おれ……」
「ええ、銀時はそう聞いたのですね。神社とか、蛇、それに長雨、襲われたとも」
「逃げられて……怒った」
松陽の言葉におれが足した。
あの日、道祖神の背に隠れて聞いた言葉。
今、はっきり解った。なぜ、おれはあそこを探したのか。逃げられてーというのが自分のことかもしれないと、怖かったからだ。自分のせいでみんなが死んだのかもしれないと思ったから。怖いくせに 逃げ出さず、かえって戻ろうとしたのは、その話が嘘であって欲しいと強く思い、それを確かめたかったからかもしれない。ひょっとしたら、神社に何かがおこったせいで、もう自分は”おかわいそう”ではなくなり、 また、あの暮らしに戻れるかも知れないと、心のどこかで期待してしまったのかもしれない。 さもしい話だが、それも無理あるまい。鬼と恐れられ、戦場跡で遺体を漁る暮らしにはもう厭いていた。


「それはきっとそうなんでしょう」
さっきと違うことを言われ、おれが混乱する間もなく、
「噂はあくまで噂ですよ、銀時。わたしたちが見たのは、焼けてしまった建物の跡、それだけです」
落ち着いたまま続けられた言葉。
「多分銀時が考えているように、あなたは長雨に困っている村に売られたのでしょう」
はっきり”売られた”とこのとき初めて言われたが、とっくに承知していたことなので驚きはなかった。それに、多分松陽が危惧していただろう胸の痛みなども。 おれはただ受け流し松陽の話を待っていた。

「なのに、あなたがあの神社を出てきたので、村の人たちが怒ったというのも本当でしょう」
松陽は、おれの顔を見てにこにこした。
よく、出てきてくれましたね、銀時。細められた目がそう言っていた。
「でもね、あなたを欲しがった村というのは、きっとずっとずっと遠くの村だと思うのです。あなたと出会える前からわたしは白神神社を探していたと言いましたね。 そしてあなたと出会え、一緒にあそこまで行きました。けれど、水害の痕跡ー長雨でひどいめにあったあと、ということですがーはありませんでしたよ」
ですからー。
「もし、あなたを村に連れて行けなくなったことで怒った方たちが仕返しに来ようとしても、それほどの大人数では無理だったと思うのです」
長旅になりますからね、と松陽。
「それに、あなたを取り戻すことの出来なかった神社の方、特に権宮司さんが、村からの仕返しを考えなかったとは思えません」
「みんなもう逃げてた?」
「そう、思います」
松陽はことさら強く言った。
「火をつけるのは少ない人数でもできます。ましてや止める人がいなければ」
「うん」
「もし、あそこに沢山の人がいたのなら、火は簡単に消せたとは思いませんか?」
「思う」
禰宜たちや権禰宜たちが、火なんてすぐに消しただろう。それにー


ガキの話だ、かなり端折った言い方をしたはずだが、おれは村から来た者の人数が少なければ、禰宜たちや権禰宜たちが負けるはずがないというようなことを言った。
「そうでしょうね」
おれの言うことに先生も頷いたが、「もちろん、そんなことはしなかったでしょうけれど」と付け加えるのも忘れなかった。
確かにそうだろう。一人二人を取り押さえても、なんの解決にもなりゃしねえ。まさか殺すわけにもいかねぇし、そのまま帰しても、”おれ”を引き渡せない以上、村との間に禍根は残る。 金を返せばすむ問題でもなかったろう。なにしろ、向こうは”必死”だったはずだからな。
逃げるが勝ち。
権宮司はそう思ったに違いない。そしてあの日の先生も。
おれも、そう思う。

「それにね、銀時」
先生は続けてそう言った。
「わたしはさっき、長旅になるから村から沢山の人があそこに来るのは無理だ、とそう言いましたがー実は、それもおかしな話なのですよ」
全然変だと思わず納得しきっていたガキのおれは驚いた。
今更なに言ってんだ松陽は?そう、思ったっけ。
訝しむおれに、先生は改めて説明を始めた。
おれを連れて帰れないと知った村人が、一旦村に戻ってわざわざ報復に来るなんてあり得ない。おれの迎え人がもぬけの空の神社に全てを悟り、逆上した結果の火付けと考えるのが一番自然ではないか。
そんな風なことをゆっくりと噛み砕くように言った。
ーああいうの、なんだっけか?
止揚とか言うんだっけ?詳しいことは解んねぇけど、先生の話は割とそんな風だったように思う。
それが計算づくなのか、思いつくまま話しながら、違う案を思いつく度に自説に修正を加えていった結果なのかは解らない。
人一倍つかみ所のねぇ人だったからー


「だから、ひょっとしたら皆さん生きているかもしれませんよ」
いえ、と松陽は続けた。
「きっと、どこかで生きていますとも」

売られたのに。殺されるところだったのに。
それでも。
松陽の言葉は嬉しかった。


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