「あれは……ヅラ子たん?」
顎に手を当ててトッシーは考えた。 どうしてヅラ子たんがこんな時刻、こんな場所に、と。
なにしろ、ここはー


「墓のように残酷な」 1


東西に真っ直ぐ延びるその細い路地裏は、日中も薄暗く、天気にも季節にも関係なく年がら年中じめじめしている。 それはこの路地に沿って待合が軒を並べているせいか、それともそんな通りだから待合いが軒を並べているのか今となっては誰にも解らないが、 その一帯がいかがわしい界隈なりの猥雑な雰囲気に包まれているのは、そういうしかるべき理由があるからで間違いない。

その日、トッシーがそんな場所にいたのは偶然でも何でもなく、土方なら人目を避けて欲しいであろう大荷物を抱えていたので、”本人”に配慮した その結果だった。
ここしばらく土方に成り代われるのを待っていたトッシーがやっとその隙を 見つけた今日という日は、数ヶ月も前に予約していた美少女フィギュア(琴吹屋SHOP限定特典付き)入荷の電話を受けてから6日もたっていた。
本当に危ないところだった。
取り置きの期間は1週間しかないのに、ずっと土方氏が忙しすぎだったからずい分やきもきさせられたけれど、なんとか間に合ってよかった。 こんな昼日中に入れ替われるなんて超ラッキー!さすがに連日の徹夜がこたえたとみえる。実際拙者も眠いでござる。だがしかし!屯所に帰ったら真っ先に今日のために買ったイイ感じのカラーボックスを組み立てて、 トモエちゃんをいっとう目立つ場所に飾らなくては!

普段ならひかれること請け合いのニヤニヤ笑いを満面に浮かべながら歩いていても、誰もトッシーのことなんて気にしない。常ならキモオタと侮られ、からかわれたり嘲笑の的になったりするのだが (もっとも、その程度のことでいちいち傷ついていたら、オタクは務まらない。そんなことを気に病むのはあとから我に返った土方だけなのだが)ここでは道行く者がみな例外なく足早で俯き加減、むしろトッシーが一番堂々としているくらいだ。 それでも、やはり誰からも冷たい視線を向けられることなく大手を振って歩けるのが心地よくて、トッシーは珍しく上機嫌だったのだ、ヅラ子を見かけてしまうまでは。

少し離れた前を行く見慣れた後ろ姿を目にしたのは、おそらくトッシーだけだったろう。なにしろ、堂々と前を向いて歩いているのはトッシー一人くらいなもの。 当のヅラ子でさえ、周囲を憚るかのように面を伏せ気味にしている。いつもピンと姿勢を正し真っ直ぐ前を向いて歩くヅラ子にしては かなり珍しいが、場所が場所だけにその態度は頷ける。が、出会った場所に納得できない。
え、なんで?なんでこんな昼間にヅラ子たんが?しかもこんな場所に? まさか、誰かと待ち合わせとか?え?えええ〜?
トッシーは二次元の嫁が入った紙袋を取り落としそうな程動揺した。 けれど、紛いものとはいえ一応は真選組の鬼の副長、三次元の嫁の不穏な行動の目的を突き止めようと決心すると、それなりの身のこなしで物陰に隠れ、追跡を開始した。 しばらく一定の距離をあけて気取られないよう跡をつけてはみたものの、ヅラ子はどの暖簾もくぐるそぶりは見せず、とうとうこの路地沿いにある西端の待合いの前も素通りした。
なんだ、拙者の思い違いか。そういえばヅラ子たんはお尋ね者らしいから、土方氏と同じで人目につかないところを選んで歩いていただけなのかもしれないでござるな。
土方と桂では人目につきたくない理由が違いすぎるのだが、トッシーはそんな風に納得すると、ヅラ子の後をつけるのを止めて屯所へと続く道へと折れた。 土方なら、普段の桂が人相書きなどどこ吹く風、腹立たしいほど堂々と目抜き通りを歩くことや、変装に ヅラ子のふん装を選ぶことはごく稀であることは承知しているので気を緩めるようなことはなかったのだろうが、思わぬところで大家と間借り人の差が出てしまったらしい。
トッシーは最初の懸念を忘れると、意気揚々、心も軽く大股で歩き始めた。頭の中はすっかり二次元の嫁でいっぱいだった……のだが……。その男とすれ違ったところで、ひたと足を止めた。
今のは……男!?
彼は二次元の美形を見慣れているトッシーの目にも、美しかった。 トッシーの知る限り、三次元で一番綺麗な顔立ちはヅラ子だったが、彼女(?)とはまた違う類の美しさだ。 ヅラ子の美貌が妖艶なだけでなく清冽な清々しさを具有するのに対し、完全に妖艶さだけでできている。
アニメキャラなら声優は諏○部氏か○置氏か……っと、失礼、こちらは故人だっでござるな。きっとああいうのが道を踏み外すのに違いない。いけすかない野郎だ。
見た目のことだけならトッシーのひが目かもしれないが、そうではなかった。実は男が浮かべていた笑みがひっかかった。 人は、ぼうっとしているときに本性を出してしまいがちだが、笑っているときも同じだ。男の浮かべている笑みは、少々野卑で、その目に宿している光は酷薄にすぎた。 そんな笑みを浮かべた男が、待合い銀座とも言うべき場所へと足を向けている。 自分の身ばかりでなく他人の身をも誤らせそうな男、その行き先にふと不安を覚えた。
まさか……ヅラ子たん?
先ほどヅラ子がどの待合いにも入らなかったことを確認したはずのトッシーは、それでも踵を返して今度は男について行った。
なんだか嫌な感じがする。
ただ、それだけのことだったが、トッシーは律儀に追跡を続け、男が待合いの一つに入るのを見た。路地沿いにある西側の果ての待合い。そこで、トッシーはようやく思い出した。
待合いには出入り口が二つある!もしかして……ひょっとしたら……やっぱり?
頭にいくつもの「?」を浮かべたまま、そっと裏の方へ回ってみると、案の定、塀とほぼ一体化して一目ではそれと判らないようしつらえてある木戸があった。音をたてないよう針の隙間ほど 開けてみると、キチンと揃えられた女物らしき履き物が目に入った。
それがヅラ子のものだという確証はこれまた何一つなかったのだが、嫉妬に目が眩んだトッシーには、それがヅラ子のものにしか見えなかった。
ヅラ子たんが危ない!
もしも合意の上での逢い引きだったらどうするのだとか、万が一にも攘夷志士同志の密談だったら、みてくれは土方である自分が乗り込んでしまったらどうなるのだとかは一切考慮せず、トッシーはヅラ子の危機と思いこんだ。 思いこみが激しいあたり、いかにもオタクらしい。トッシーは、押っ取り刀で勢いよく店に飛び込んだ。座敷と廊下を隔てている唐紙の開いている部屋はスルーして、とうとう最奥の部屋に行き当たった。
ここだ。ここしかない!
またしてもそう思いこみ、いつものへたれはどこへやら、三次元の嫁の危機に駆けつける己にどこか酔いしれながら、トッシーは全力で安っぽい唐紙を開け放した。
「大丈夫、ヅラこたん!?拙者、助けに来たでござる!!」
勢いよく中に飛び込んだまではよかったが、そこでトッシーが目にしたのは、てっきりあの色男に組み敷かれているとばかり思っていたヅラ子が、逆に男をねじ伏せている光景だった。

「ヅ、ヅラ子たん!?こんなところで一体なにを!?」
「トッシーなのか?なぜ、ここに?」

驚きのあまり固まるトッシーと闖入者に目を丸くしたヅラ子の二人は、互いに顔を見合わせながら同時に似たような問いを発した。

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