そは、心ななり  後篇


そりゃ、さぞ恐ろしいだろうよ。
片目を失ったのがおれでさえあの醜態だ。万一、あれが桂だった日には銀時の野郎……。
「大馬鹿だな」
高杉がやっとのことで絞り出すように言うと、だな、と桂がまた頷いた。
高杉と桂。銀時に、護りたいと思われた者同士。が、護りきれないかもしれないと恐れられもした不甲斐ない者同士でもあると思えばー
銀時の奴!
やはり、穏やかではいられない。
理解は出来ても、許せない。
受容と拒絶。相反する思いが二人の中で鬩ぎ合っている。
「が、一人で逃げるのは解せねぇ」
なら、それほどまでに桂を想うなら、何故一人で行く?何故、置いていく。何故そんなことが出来る!?
「貴様、おれをなんだと思っておるのだ」
いかにも心外だという風に桂が眉をつり上げる。
ー確かに。
そんな、銀時ですら気づけただろうことに、気づけなかったことに高杉は歯噛みした。
「悪ぃ。まったく、らしくもねぇ」
「自分で思うより動転しておるのだろうよ。無理もない」
自嘲する高杉に、桂が理解を示す。おれもだがな、とそうも言って。

銀時が、姿を消した。
白夜叉と名を馳せ、その勇猛さと戦闘力の高さで、敵ばかりでなく時として味方からも恐れられる存在だった銀時が。 その大きすぎる穴を思い、二人はしばし沈黙した。これから二人にのしかかるだろう責任と同様、部屋の空気までが重くなったのは気のせいだろうか。
怯えて逃げた他の兵たちに未練はない。桂の言うとおり、そんな連中は迷惑なだけだ。けれど、銀時は違う。奴には、戦ってもらわねばならないのだ。今、奴ほどの男に去られては、勝利どころか 戦意の維持すら危うい。
「くそっ」
最悪の上にも最悪な状況に、高杉は悪態をつくしか出来ない。そんな自分にも嫌気がさし、またしても銀時のーと言いかけて、慌てて桂の様子をうかがったがー
「お、まえ……」
桂は完爾と笑っていた。
だが、高杉は知っている。それはなにか突拍子もない事態に陥り、二進も三進もいかなくなった桂が己自身を嘲笑う貌。
まさ、か?勘弁してくれ!
「まだ他にも禄でもねぇことが起きてるってのか?」
桂はふん、と忌々しげに鼻を鳴らし、「銀時のことなど吹っ飛ぶぞ」さっき高杉に放って寄越した書簡を顎で示した。見ろ、ということらしい。
差出人の名には見覚えがある。 この地の大肝煎りにして、彼らの援助者の一人。先だって依頼した、新しい武器の調達についての返信らしい。桂に目顔で促され、ざっと目を通し始めた高杉は、すぐに綴られた文字を追うのを止めた。怒りで目が霞んでそれどころではない。

だらだらと言い訳めいた文字が並んではいたが、要は、今後一切の援助を打ち切るという決別の宣言。
「あんの糞爺!」
「そう言うな。状況が変わった。今やおれたちは幕府に徒なす謀反人の群れ。援助する方とて命懸けだ」
そんなことは桂に言われなくとも高杉とて解っている。が、悔しくて、たまらない。 武器は取らずとも、彼もまた憂国の士であると信じていたのに。 昨日までは祖国の為に戦う若き英雄と自分たちを持て囃していた連中が、今日には舌を出して礫を投げてくる現実。 怒りを覚えずにいられようか?
「存外脆いな、晋助」氷のような声が胸を刺す。「貴様、銀時のことを嗤えんぞ」
こいつは……そしておれたちは、一体どこまで追い詰められている?
「なにか策があるってぇのか?」
「まだおれの胸中だがな」
「聞かせろ、すぐに」
桂は高杉を真っ直ぐに見据え、正真正銘、にっこりと笑って見せた。
「なに、大した話ではない」
そう前置きされた話を聞く内、高杉は熱せられた砂塵の中に取り残されているような錯覚に陥っていった。全身が燃えたぎるように熱くなるのを止められない。 持て余した怒りが、我が身すら焼き尽くそうとしているかのようだ。
「だからな、晋助」
淡々と抑えられていた桂の口調に、ふいと底抜けに明るい音が混じった。熱さを忘れ、顔を上げると、すぐそばに笑みを固めたままの貌がある。
桂は言うのだ、丁度上手い具合に奴がいなくなってくれてよかったではないかーと。全てはおれにまかせろ、などと……。
おぞましい計画を淡々と口にしながら、どこまでも涼やかままで。
昔から正気すれすれまでに肝の据わった奴だったが、ここまでとは。
くっ。
短い笑いを洩らし、高杉もまた、腹を括った。桂に触発されたのではない。高杉自身も、それしか道はないとはっきり悟った、ただ、それだけのこと。
「連れてけよ、おれも」
幼い頃そのままに目を丸くさせた桂に迫る「なぁ、……小太郎」
道は決まった。進むべき道は一つ。
「露払いだ」
臓腑を抉られるような絶望とは裏腹に逸る心を持て余しながら、高杉は桂の髪に手を伸ばした。
もう、戻れない。



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