PHILTRE D'AMOUR chapitre2

「遅かったじゃないのヅラ子。早く着替えてらっしゃい。着物、控え室の方に揃えておいてあげたわよ」
息を切らせながらかまっ娘倶楽部の裏口から店内に飛び込んだ桂に、あずみが特に咎め立てる風もなく親切に教えてくれる。
「すまない、アゴ代殿」
「もう何回言ったか忘れちゃったけど、あずみだっつってんだろうが!」
すまないアゴ代殿、と性懲りもなく同じ科白を繰り返し、あずみの罵声を背に受けながら、桂は一度も足を止めることなく控え室に急いだ。

「おっそい!なにしてたのよヅラ子ぉ」
「なんだ、貴様こんな所にいたのか?」
控え室に入るなり、パー子に扮した銀時に声を掛けられ、桂は目を丸くした。
仕事だと新八から聞いてはいたが、自分と同じくかまっ娘倶楽部で働かされるのだとは想像だにしていなかったので、心底驚いた。
「急に化け物の親玉に呼び出されたんだよ。全く、こっちだって暇じゃねぇってぇのに」
「嘘を言うな、嘘を。さっき貴様の所に寄ったが、閑古鳥がけたたましく鳴いておったぞ」
「閑古鳥の鳴き声なんて、未だかつて聞いたことねぇよ」
「いつも鳴いておるから慣れてしまって、耳がいちいち声を拾わなくなっておるのだろうて」
「なるほどねぇ」
「…なんだ?気味が悪いな」
桂は銀時と軽口を叩きながらも、大量の紐を駆使して手際よく着替えていく。
それを眺めながら、銀時は桂に近づくと「けど、おめぇの啼き声には敏感だぜ?」と肩を抱いた。
「臆面もなくそういうことを言うな、着替えの邪魔だ!」
「つれないじゃないの、ヅラ子ぉ。今日はなんの日か知っててそれぇ?」
「甘ったれた声を出すな。それ位心得ておる、今日は義理チョコとやらを大量に配る日だ!」
見ろ、アレを!そう言って桂は自分の持ってきた、今は控え室の隅に放り出されている二つの紙袋を忌々しげに銀時に指し示す。それを見て銀時も「確かになぁ」と笑った。
中味は見るまでもなく知れている。バレンタインというのに行く当てもなく、この店にやってくる哀れな客に配るための小さなチョコレートがギッシリ詰まっているのだ。桂より先に店に入った(入らされた)銀時は、今夜は桂が持ってくることになっているチョコを店の入り口で配る役目を西郷ママから仰せつかっていた。
「全く、なんでおれが一つ一つにめっせーじかぁどを入れ込んで、その上らっぴんぐとやらをせねばならなかったのだ」
エリザベスが手伝ってくれたから良かったようなものの、下手をしたら三、四日徹夜になるところだったわ!と、着替える手を止めず桂は文句を言う。
「仕方ないでしょ、ヅラ子ったら売れっ子なんだもん。あたし妬けちゃうわぁ」
「なにいってんのパー子、あたしたちツートップじゃないの。今夜も二人で頑張りましょう」
銀時が女口調のくせにわざと普段よりも野太い声を出し、大げさに溜息をついてみせたので、桂も苦笑しながら話を合わせる。もちろん、手は休めない。
「へぇへぇ」
「なんだ、急にやる気のない声を出しおって」
「この気怠さがあたしの売りなんだってばヅラ子。このあんにゅいな感じがわかんないのぉ?」
「貴様はいつもそんなもんだからな」
そっけなくそう答えて、行くぞーとすっかりヅラ子のなりをした桂が銀時を急かすのに、銀時は「あーだりぃ」と言うだけで焦る様子もなくじっとしている。
開店時刻が迫っておるぞ、だのママに叱られるぞ、などと桂が一生懸命言うのにいっかな動こうとはしない。
「なんだ、貴様なにが不服だ?」
さすがに訝しんだ桂が訊くと、「やる気が出ねぇ」と一言。
「だから燃料くれ」そう言うと銀時は桂の方へぬっと手を差し出した。
桂はじっと目の前に差し出されている掌を見つめていたが、やがてああ、と呟いて紙袋をガサガサと漁って黒く光る箱を取り出した。
「今年はこれで勘弁してくれ」
そう言いながら桂が掌にのせたそれは、小さい見た目の割に銀時には随分重く感じられた。包み紙も分厚くてしっかりしているし、銀時にはどう読むか分からないものの、よく見かける金文字のロゴが散らされている。どうやら相当高級な品のようだ。
「お、サンキュ」
「…いや、すまなかったな」
「なに、どういう意味?」
「や、なんでもない。ほれ、行くぞ」
桂は受け取ったチョコを矯めつ眇めつ眺めている銀時に手刀もくれてやり、さっさと箱を仕舞わせて控え室から引きずり出した。そのまま二人で足早にフロアへと急ぐ。
倶楽部へを足を入れた瞬間、二人はこれまでの人生で慌てたことなどありませんというような落ち着きっぷりで、顔面に営業スマイルを貼り付かせた。


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