浸透圧 その5

「ああ、それで」
なんとなく話が見えた気がした。
あいつらは売人で、おれにぶつかった男は、あいつらから転生郷を手に入れたのだろう。
後を追われてたって事は、連中の言ってた通り盗んだか。金を払わずとんずらしようとしたか。
あるいは、金を払いはしたが、純粋に客かどうかを怪しまれていたか。非合法薬物の売買にはおとり捜査がつきもんだ。
「金は払っていたようだぞ、あの男」
おまえはエスパーか!
不審そうな色が顔に出ていたのだろう、桂は、官憲の考えそうなことくらいは解ると言って苦笑した。
「売人の方に前々から目をつけておったのでな、バイト帰りにたまたま連中を見つけ、見張っておったのだ。あの男に売りつけているところもこの目で見たぞ」
バイトってなんだよ?
攘夷志士がバイトだぁ?
しかも女装で?
「で、おれはあの男から直接その薬を手に入れようと思ったのだが、連中が先にあの男を追い始めたのでおれも後を追っていたのだ」
「てめぇが転生郷なんぞ手に入れて、一体どうするつもりだったってーんだ?横流しして、活動の資金源にでもしようってか?」
「……転生郷かどうかは見てくれだけでは判らんのでな、手に入れて調べるつもりだった」
おれの物言いが少し不満だったのか、むっと口を小さくとがらしてふくれた気がした。
「…調べてどうするよ」
さっきのは無理矢理目の錯覚だったことにして、おれは一生懸命話に集中しようとした。
なんだか見てはいけないものを見た気がしたのだ。
「転生郷を売りさばいているという証拠があれば、心おきなくあの組織をつぶせるからな。さすがに確証もなしに黒い噂だけで組織一つ潰すのはやりすぎだろうて?」
おい、物騒なこと言ってるぞ、こいつ。潰すってよ。
「あんな薬を扱う連中に情けは無用。あの薬は人を人でなくするのだぞ」
にっとおれをみて笑う顔には酷薄そうな笑みが張り付いていたが、それでも、やっぱり綺麗な女の顔で、おれは大いに戸惑った。
そして、唐突におれは思い出した。
少し前に、春雨をたった二人の侍が襲撃したこと。その内の一人が目の前にいるこいつだったこと。
そしてあの腹の立つカエルもどきの天人の護衛をさせられたこと。
その屋敷に転生郷が置いてあったこと。
近藤さんが怪我をさせられたことを!
「前に春雨をやったのも、確かてめぇだったな……」
「あれはおれではないぞ」
目をまん丸にしてきょとん、とする桂。
さっきの冷たさはどこかへ霧散し、かなり幼い表情を見せる。
「じゃあ誰だ?知ってるんなら正直に吐いた方が身の為だぞ」
不覚にも、ちょっと可愛いと思ったかもしれない自分を認めるのが怖くて、おれは無理に凄んでみせる。
「あれはおれではない。宇宙海賊キャプテンカツーラだ!」
んだそれはぁぁぁぁ!
胸を張って自信満々に宣言しやがることか?
そりゃ、やっぱてめぇのことだろうが!
誰が聞いたってすぐ解るわ!
日本の未来だの天人だの以前に、てめえのそのネーミングセンスの悪さを何とかしろや!
疲れる。
めちゃくちゃ疲れる。
頭が痛くなってきた。
なんか腹まで痛いぜ。
さっき近藤さんと一緒にタクシーに乗るべきだった。
酒臭い車内の方が、この女、違う、男と話すよりはずっとマシだったろうに。

「そんなわけでな…」
まだ続けるのか!
おれは疲れてんだ!
頭も腹も痛くてそのうえ眠ぃんだ!
おまえの与太話はもう十分だ。
今回、おれの心の叫びはさすがに聞こえないのか、聞こえていながら無視しているのか、桂はまだ話を続ける。
「貴様等がキッチリ片をつけられるというのなら、その薬、くれてやる。言った通り、それが転生郷かどうかの確証はないことを忘れるな。ちゃんと調べさせろよ。さっきの連中の反応を見る限り、いずれ禄でもないものなにには違いないだろうがな。で…」
おいぃぃぃ!まだ続くのか、勘弁しろよ。
おれには指名手配犯にだって誰にだって偉そうに指図される趣味はねぇ。
近藤さん以外の奴の言うことなんざ聞く必要もねぇ。
桂の口舌に脳の処理が追いつかない……。
あー、疲れた。
おれは今日はオフだったんだ。
なんで目の前にいるのがこんな奴なんだ…。
こんな…こんな……馬鹿力の、女の格好をした、指名犯テロリストで………ああ、なんか綺麗だ…な。
ぼうっと霞む視線は、どこかの綺麗な女…ああ、男だったっけ?から動かせない。
うっすらと紅を塗ったつややかな唇が動いているようだが、何を言っているかはもう判らない。
髪が綺麗だ…ちょっとさわってみてぇな。
いい匂いがしそうだ。江戸紫の紋縮緬がよく似合ってらぁ。
織り出された紅白の椿の柄よりずっと艶やかじゃねぇか……ああ、にしても瞼が重てぇな………もっとよく見ていてぇのによ……

ーそこでおれの意識は途絶えた、らしい。


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