重五 2

「いいお住まいじゃないですかぃ」
座敷に通された挙げ句、白ペンギンから出された茶をすすりながら、おれは桂に満更世辞でもなくそう言った。
外観は人目を惹くような所の一切ない、ありふれた民家。
けれど中は古いとはいえよく手を入れられていると見え、床から柱から丹念に磨き込まれている。
畳面も青々としていて香も真新しい。
おれの掴んだ情報によると、桂がここに遷ってきたのはせいぜい1週間程前だ。
それなのに、なぜだかもうこの人の匂いがそこかしこに移っている気がする。
ひっそりと慎ましく玄関先に生けられた一輪の花に、書架に置かれた古めかし気な書物やそこに障子越しに差し込む日の光にさえ。
俺がそういうと、桂は「ふん、おれも気に入っておったというのに。貴様のお陰でまた引っ越しだがな」と言いながら唇を少し尖らせた。
その柔らかそうな紅唇を思いっきり捻りあげたくなるのはこれで何度目だろう。勿論、 そんなことをすれば叩き出されるどころか叩っ斬られかねねぇのでおれはその暗い衝動に耐える。
「ギリギリまで待ったんですからねぇ、むしろ感謝してもらいてぇもんだ」
その気になりゃ、1週間も前にあん…桂さんは引っ越す羽目になってまさぁ。
あんた、といいかけて睨まれたので、おれは慌てて言い直す。
「ギリギリというのは重箱のことか」
「へい。今日お入り用かと思いやして」
その考えが間違っていなかったことはこの家に足を踏み入れる前に確認済だ。
座敷へと通される途中、その証拠が台所のテーブルの上に積み上げられているのが暖簾の隙間から見えた。
大量の蓬。
玄関先にまで独特の匂いが漂っていたのはこいつのせい。
草餅もとい柏餅に使うつもりだろう。
年中行事を大切に、なんてぇのは昔気質の人間のやりそうなことだ。
ぶっ飛びすぎていてついて行けねぇような思考回路を持ち合わせているくせに、こういうところは判で押したようにわかりやすい。
ひょっとしたらこのお人のことだ、旧暦で暮らしてんじゃねぇかとちいとばかり危惧したもんの、世間に合わせる程度の柔軟性は持ち合わせているようで安心する。
「…ここで少し待っておれ。おれは忙しい」
そう言い置いて桂が部屋から出て行くと、床の間の前で花菖蒲を花瓶に生けていた白ペンギンがおれの方を値踏みするようにジロリと睨んだ…気がした。
そんなことあるわけねぇのに、そう思っちまうのはどうしても疚しさが付きまとうせいかもしれねぇ。
オフとはいえ、攘夷志士ーしかも大物、あの桂小太郎ときてるーの隠れ家をおとなったあげく、言われた通り座敷で静かに正座しているなんざ洒落になんねぇ。
こういう余計なこと考えちまうのも、目の前に桂がいないせいだ。
大人しく座ってるのも性にあわねぇ。おれは桂がいるはずの台所へ行くことにして立ち上がった。 途端、おれを監視するつもりなのか、白ペンギンが後から付いてくるのがご愛敬だ。
台所に近づくにつれて青臭い匂いがまた強くなった。

「手伝いやしょうか」
そう気軽に声を掛けて台所にかけてある暖簾をくぐったおれが見たものはー
「あんた、こりゃ一体何の真似ですかい!」
「あんたじゃない、桂だ」
飽きもせず同じ科白を繰り返す桂の、そしておれの足元には大きな紙袋が幾つか転がっている。
上新粉や砂糖が入っている、もしくは入っていたものらしい。それらの内幾つかは空のようで、厚みが殆ど無いのが見て取れる。
「これ、全部使っちまったんですかい?」
「うーん、まだ半分?」
首を傾げながら応える様は無邪気で結構ですがねぃ。
しかし、半分といっても尋常じゃねぇ量ですぜ?
やっぱりぶっ飛びすぎててついていけやしねぇ…。


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