重五 3

怖ろしい量の白い餅のような物体をおれの目の前で炊きあげた桂が、それを水に浸しながら
「少し待っておれといったのを忘れたのか?人の家の中をうろうろしおって」
とたしなめるように言う。
あんたはおれの母ちゃんですかぃ。
でも、ま、この程度のお小言は想定内。
白ペンギンに監視されて待ち続けるのは御免でさぁ。
おれぁ、あんたに会いに来たんですからねぃ。
「待ちましたぜ、いわれた通りに。少し」
「どれだけ辛抱がきかんのだ、貴様は!」
「少しなんて漠然とした言い方じゃわかりやせんぜ、時間の感覚は人それぞれですからねぃ。おれは”おれの感じる少しの間”ちゃぁんと待ちやした」
「やはり子供だ、貴様は。子供は大人よりも時間を長く感じるというからな」
「そりゃ、あれですかい。あんたがおれよりおっさんってことじゃねぇんですかい?」
少し怒るかなと思ったが、桂は水から引き上げた餅をこねながら、「当然だ。おれから見れば貴様などただの洟垂れ小僧も同然」とあくまで澄まし顔。
やれやれ、なかなか思うような反応は返ってこねぇもんですねぃ。
しかも「じっと待っておれんようならもう帰れ。貴様の用は済んだはず」とつれねぇ。
「そんなに邪険にしねぇでもいいじゃありやせんか。そんなんだったら、なんで待ってろなんて言ったんですかい?」
「おれからすれば子どもだからな、貴様は。だから出来上がりの一つくらい食わせてやろうと思っただけだ」
へぇ…。
この人のこういうところがおかしくて仕方ねぇ。
「そういうことでしたら是非頂いて帰りやすが…」
「なんだ?」
「ここで見物させていただいても?」
「心配せずとも毒など入れん」
「そういうこっちゃありやせん」
「ではなんだ?」
「台所で立ち働いている人を見るのは久し振りなんでさぁ」
幼い頃は姉が色んな料理を手早く作ってくれるのを、魔法か何かのように思って見てましたがね。
「ほう、姉上がおれられるのか」
「へい、まぁ。…正確にはいやした………ですがね」
ふと、桂の手が止まった。
すぐに何事もなかったかのように餅をこね始めたが、手を止めた折に掌が赤くなっているのが見て取れた。
餅が、熱いのだろう。
いつもは真っ白なはずの掌を染め上げている赤い色。
その燃えるように熱い掌をとり、握りしめたい衝動に駆られる…なんてことは生憎、ねぇ。
そんなのはどこぞのへたれマヨラーの考えそうなことだ。
おれぁ、違う。
おれは
むしろ
もっと紅に染まったところが見てぇ。
そう
> 血だ。
血管が青く透けて見える程白い手が血で染まるのを…見てぇ。
それが誰の血であったってかまやしねぇ。
おれがこの世で一番大切に思う人以外のものでさえあれば。
無論、桂自身の血でも。
よしんばそれがおれのであっても
見たい 見たい 見たい 見…

「…た」
「…きた」
「沖田!」
遠くで呼ばれた気がして我に返ると、すぐ近くでこちらを怪訝そうに見ている桂がいた。
…おれぁ…何を?
「ボーッとして突っ立っているだけなら目障りだ。座っておれ」
おれを捉える二つの眼が、口調の厳しさとは裏腹に気遣わしげに揺れているのが解っちまった。
逆らう気力もなく、素直に腰をおろそうとしたものの、そんなスペースはどこにも、ない。
屈むのも億劫で、つい床の紙袋を少し足先でどかそうとしてみると、ぶわっと粉が舞い上がり、それに気付いた桂に「食いものを足で触るでない」とまた叱られた。
おれを叱る
その声…
もう…大丈夫。
その声がおれをこっち側へと引き戻した。

…大丈夫。
おれはゆっくりと息を吐き出し、肩の力が抜けるのを確認すると、「やっぱりおれも手伝いやしょう」と申し出た。


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