重五 10

「すいやせん、近藤さん中におれらやすかい?」
「総悟か?どうした、まぁ入れ」
「へい、失礼しやす」
障子越し、近藤さんがいつものようにおれを気さくに中へと招いてくれる。
やれやれ、やっとなんとかなりそうでぃ。

しっし、と桂に犬を追い払うようにして外に放り出され、おれはやむなく屯所に足を向けた。
近藤さんの私室に向かう途中で擦れ違った山崎が、珍しいものでも見るようにおれを見ていた。確かに急に呼び出されでもしない限りせっかくの休みに屯所に顔を出すことなんてねぇからな。
それもこれも、この手に抱えた重箱のせいでぃ。中にぎっしり詰められた餅を一人で処理出来るわけがねぇ。絶対に無理でぃ。
近藤さんやそこいらの誰かに手伝ってもらえれば、との思いからだったが…今になって、もし本物の犬ならそもそもあんな扱いは受けてないかもしれねぇことに気付いちまった。
なんでぇ、おれはあんたにとっちゃ野良犬以下ですかぃ。

「ちっ、おもしろくもねぇ」
「てめぇ、部屋に入ってくるなりなんだぁ、その口のきき方は!」
「おおっと、いたんですかい土方さん。いけねぇ、いくらムカツク奴でも本人を前に本音を洩らしちまうなんざ、おれもまだまだでさぁ」
「んだと、こらぁ!」
なんてこった。近藤さんの部屋に入りながら、つい心の裡が出ちまった。
幸か不幸か部屋の中には近藤さんだけでなく土方の野郎もいて、さっそくおれに噛み付いてきやがる。
今のは珍しくてめぇに向けた言葉じゃねぇが、そう思ってくれた方がおれには都合がいい。それに実際てめぇは”おもしろくねぇ”存在だ。
だから、あえて火に油を注ぐ言い方をしてみせると、簡単にその気になりやがった。まったく単細胞はこれだから。
「よさんか、トシ、総悟も」
「ちっ」
刀の柄に手をかけて立ち上がる様子を見せたものの、土方は近藤さんに窘められるなりそれきり口を噤んだ。近藤さんにはとことん忠実な野郎だ。 その点だけは評価して、さっきの舌打ちは水に流してやりまさぁ。
「どうしたんだ、総悟。今日は休みだというのにわざわざ屯所に顔を出すなんて」
珍しいこともあるもんだなぁ、明日は雨にならなきゃいいがーと近藤さんは豪快に笑う。
「へぃ、実はこんなもん貰っちまいましてねぇ」
一人じゃ食いきれねぇもんで、一緒にと思いやして
おれは桂に押し付けられるようにして持たされた重箱を風呂敷包みから出し、蓋を取ってから近藤さんの前に置いた。
「ほう、柏餅か」
こりゃまたえらくたくさん入ってるじゃないか、ご丁寧に三色もある、と近藤さんは両の目を丸くした。
近藤さんもこうやって子供っぽい仕種をすることがある。同じ仕草を桂がするのとは全く印象が異なるのは、外見の印象の 違いだろうが、二人はそれを除けば意外と似た部分を持ち合わせているのに最近気付いた。馬鹿がつくほど真っ直ぐで、底抜けのお人好しだ。
けれど
感激屋の近藤さんと違い、桂は感情が薄いように思える。
感極まって男泣きに泣く熱さを、持ち合わせてはいないように見える。
桂は、目の前のこの人のようにしゃくり上げるとまではいかなくとも、琥珀色の双眸から涙を零す程の感情にとらわれるようなことがあるのだろうか。
もし、もしそうだとしたら、一体どうすればおれはそれを拝むことが出来るのだろう。
一体、どうすれば………

「旨いなぁ、実に旨い!」
近藤さんの明るく大きな声が、闇に差す光のようにおれの仄暗い欲望を打ち払った。
…いけねぇ、まただ。
また妙な想いに意識をもってかれちまうところだった。
…気を付けねぇと…
油断すると、つい思考が桂の方へ向いてしまう。しかも好まらざしからぬ方へ、だ。
「今時珍しい手作りで、できたてをいただいてきやしたからねぇ」
おれはなんとかこのままの意識を保とうとして話を続ける。
「手作り?」
「へぃ、端午の節句ですから」
「そういやそうだったな…そうか…端午の節句か…」
それだけ言うと近藤さんは、餅をもぐもぐと頬張りながら何事かを考え始めると、おもむろに「そういうやぁトシ、おまえの生まれた日じゃないか」と素っ頓狂な声を出した
「ああ、まぁ…」
近藤さんに話を振られた土方がどことなく嫌そうに答える。
へぇ、こいつぁおもしれぇ。
「この頃じゃ、こどもの日っていうそうですぜ」
ピッタリでさぁ。
思った通り、同じようにからかわれてきたのであろう土方がじろりとおれを睨んで来やがった。 が、先ほど近藤さんに窘められたばかりなのを思い出してかそれ以上何も 言わず、席を立とうとする。
「トシ、どうだ、おまえも食わんか?」
実に旨いぞーと近藤さんは餅を土方の方に差し出してみせる。
「いや、おれは甘いもんは…」
「そう言うわずに、な。縁起もんの一つだし、それにこれは本当に旨いぞ」
手作りって言ったな、総悟ーと近藤さんがおれに訊く。
「へぇ、実はおれも手伝ったんでさぁ」
「総悟がぁ?」
「おまえが手伝ったってんなら毒入りじゃねぇのか」
近藤さんはまた目を丸くして、おれの顔と手に持った餅を交互に見比べ、土方は嫌みったらしく鼻で嗤いやがった。
「安心しなせぇ、副長だけならともかく近藤さんにまで毒もったりしやせんから」
それに、ほら、食べなきゃ後悔しやすぜ?
思わせぶりにそう告げると、おれは重箱を土方の方へ突き出してやった。
そこに描かれた模様をしっかり目にとらえたらしい土方は、唖然としたようにゆっくりと口を開くと、そのまま阿呆のようにかたまった。
ったく、ざまぁねぇ。


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