「雨夜の星のごとく」中篇

「違うんですよぉ」
「あ?」
店の奥に戻ろうしていた女将が歩みを止め、短くもらしたその言葉が何に向けて発せられたものか、土方にはしばらく解らなかった。
はじめ、自分の年齢のことを「そんなに年嵩ではない」と訴えているのかと思ったが、まさか己の内心など解ろうはずもなく、つまりは…
「…シンパとかじゃないんですよぉ」
「ああ、解った。変なことを聞いたおれが悪かったな」
「嘘」
「あ?なんだそりゃ。嘘じゃねぇよ、悪かったって言ってる」
「違うんです!」
振り向きざま、思いもかけず強い口調で言い返され、驚いた土方は話も箸を持つ手も止めて女将の顔ジッと見つめた。女将はいつもと変わらない柔和そうな顔つきを崩してはいなかったものの、口元の緊張がそれは時間の問題であることを雄弁に物語っていた。
「シンパとかいうんじゃないんです…そうじゃないんですよぉ…でも……」
好ましい、というか…
「好ましい、ねぇ」
おれには解らん、だってあいつらは…
「連中はただのお尋ね者じゃねぇか」
「お尋ね者…そうですね…でも、それはいつからでしょうねぇ?」
先ほどまでの緊張はどこへやら、いつの間にか口の端に笑みまで浮かべて女将は土方に問うた。目は真っ直ぐ土方を捉え、今やその輝きは挑戦的ですらある。
「いつからって…そりゃ…」
「……それまでは英雄だったんですよねぇ」BR> 幕府が天人に膝を屈して以来ーなどと言えるはずもなく、言葉を濁した土方にかわって女将が言葉を継いでいく。
「長い戦でしたねぇ…長い、本当に長い………」
お国の為に、友の為に、家族の為にみんな一所懸命闘ったんですからねぇ…
「昔の話だ」
「そうですねぇ、昔の話ですねぇ」
でもー
大事な人をなくした者にとっては、まだまだ終わっちゃいないんですよぉ…
「あんた…」
戦で親しい誰かを亡くしたのか?と聞こうとして、土方はやめた。聞かずとも、答えはわかっている気がした。
「あたしだけじゃないですよぉ…」
だって、長い戦いだったんですから……
「土方さんは…」
けれど、女将はその先を続けることをせず、それきり土方から目を逸らした。
女将の言おうとしたことが何だったにせよ、それは土方に「おまえは一体何をしてきたのだ?」と問うようなものだったに違いない。
おまえは戦に行かなかったのか?
戦で誰かを失わなかったのか?
もしくは
あの時、おまえは一体なにをしていたのだ、と。

土方は
桂より少しばかり生まれるのが遅かったばかりに、戦に行きそびれた世代だ。
剣術の師には恵まれたが、志を仰ぐべき師には恵まれなかった。
もし
もしも自分が後数年早くこの世に生を受けていたら
もし時流の波を否が応でも被るような地域で育っていたら…
もし?
「あー、畜生!おれには解んねぇ!おれはおれなんだよ!って…ああ?」
半ば呆れるような女将の顔が目に入ってから、初めて土方は己が本当に大声を出していたことに気付き、おおいに慌てた。
「す、すまねぇ…」
必死に謝る土方が気の毒になったのか、女将はいいんですよぉ…と言いたげな笑顔を見せた。
女将の笑顔に許されたことで土方はなんとかいつもの平静さを取り戻すと、改めて箸をすすめながら女将に話し掛けた。
「あんた、桂に会ったことあるかい?」
いや、取り調べとかそういんじゃねぇんだ。ただの興味本位って奴だ。
不思議そうな顔をする女将に、土方は慌てて言い添える。
「桂小太郎さん?」
「そうだ、桂だ」
土方が呼び捨てで言い直すのを聞いて、何が可笑しいのか女将は声を立てて笑った。笑いながら、「ありませんよぉ」と答えた。
「そうかい」
「でも」
見かけますよ、ちょくちょく。
「だろうな」
桂に限らず大抵の攘夷志士は素顔を晒して歩く。帯刀を隠そうともせず、平然と。
殊に、桂は目立つ。変なペット連れでいるときは勿論だが、あの今時流行らない長い髪は否が応でも人目を惹く。
なのに、滅多と通報されることがない。
これまた無関心を装った庶民の助太刀の一種だ、忌々しい。
土方が少なからずの嫌味も込めてそう愚痴ると、女将はまた笑った。笑いながら、だってあの人達がいてくれるから、私たちは救われた気がするんですからねぇ、と言った。
あの戦を闘った者たちは無駄死にしたわけじゃないんだ、って。
変わらず遺志を継いでくれてる人もいるんだって。
ごめんなさいねぇ、土方さん。辛抱よく聞いて下さるから図に乗ってあれこれ喋っちまいましたけど、でも、これが私たちの本音なんですよぉ。
一度、こんな話を聞いていただけたらと思ってたんですけどねぇ、今夜はいい機会でしたよぉーと。
「それに、この国の人達は義経の時代から判官贔屓ですからね」
「ああ」
ここのタラの芽の天麩羅はこんなに苦かったっけか?
そんな埒もないことを思いながら、土方は大人しく女将に話しを続けさせている。内心穏やかではないが、これも偽らざる庶民の声。受け止める必要はある。
「だから、やっぱり嫌いじゃないですよぉ。古き良き時代のお侍さんって感じで。それに…」
とっても綺麗だし。
「はぁ?男に美人ってのはどうなんだ?」
「美人だなんて言ってませんよぉ。あの、歩き方とかがね、こうスッと背を伸ばしてるところとかが、ああ、綺麗だなぁって。まるで、孤高の士って雰囲気じゃありませんか」
「孤高の士、ねぇ」
手配書で見る桂しか知らなかった頃の土方なら頷いたかもしれない。が、近頃では一度口を開くと最後、とんでもない電波バカだということを嫌というほど知っている土方は、知らないというのは本当に怖ろしいことだと思っていた。
女将だけではない。あの戦が今日まで尾を引いていることに気付かずにいた己も、また、その誹りを免れはしないのだが。
「私ね、ああいう人に憧れる気持ちを持つお侍さんがいるの、解る気がしますよぉ」
流石に過激派だった頃はおちおちニュースも見てられませんでしたけどねぇ。いつの頃からか穏健派になってくれて本当によかった、そう思ってるんですよぉ。
「穏健派だろうと過激派だろうと、お尋ね者には違いねぇよ」
「土方さんには、そうなんでしょうねぇ」
「ああ、おれは真選組だからな。攘夷志士はみんな敵だ」
「解ってますよぉ、そんなことは」
でも、でもね
「お侍さんなら、頭では無理でも、そう、どっか心の奥底では解ってくれるんじゃないかって気がするんですよぉ」
あの人達の生き様をねぇ。


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