星宿 2

夜の歌舞伎町ともなれば酔っぱらいなど珍しくもない。
だから、目の前にいるのを網膜が捉えていても、意識はスルーしてしていたらしい。
ふん、アル中のたかりか。
こんな連中、まともに相手をするのも馬鹿らしい。目だけで瞬殺出来らぁ。
「あぁ?なんだてめぇら。たかりなら余所をあたれや」
大概の男たちは、土方の一言で脱兎の如く逃げ去るのだが、生憎今夜はそううまくはいかなかった。
どうやら相当きこしめしているらしく、土方が何を言っているかも解らない様子。
ただ、酒臭い息を吐き、震える手を差し出し続けている。
第一土方を坊やと呼ぶあたりからしておかしいのだ。ひ弱そうなという形容は当たっているにせよ、土方は坊やといわれるような歳はとっくに過ぎている。 この男たちにしても、とても土方を坊や呼ばわり出来るような年齢ではなさそうだ。

まだ若そうなのによ…。
こんな歳で酒に溺れるなんて、と多少の同情は禁じ得ないものの、ここで金を渡してしまうわけにもいかない。誰それがこのやり方で金を得たという話はあっという間に広まって、真似をする者が後を絶たなくなる。
そういう連中を取り締まるべき自分のしてよいことではない。
真選組を名乗ればよいのかもしれないが、非番の自分がこの程度のことで権力を振りかざすのも気が引ける。
ましてや土方の言うことを理解出来る状態ではないのだから。
一向に引っ込められない数多の手が目の前で揺れ動くのを見ながら、土方は段々苛つきはじめた。
いっそ軽く蹴散らすか?
そう腹をくくり、拳をグッと握りしめかけたとき、折悪しくヅラ子が店から出てくるのが目に入った。
ヅラ子はすぐに土方と男達に気付き、綺麗な形の眉を上げた。そして単刀直入に「お前達、そこで何をしている?」と訊いた。
ああ、前にも似たようなことがあったっけな。
今でこそ聞き慣れたその声を初めて聞いた夜のことを、土方は不意に思い出していた。

初めて出会ってしまった夜も、桂はこうして女の形をしていたのだった。そうして、ヅラ子と名乗った。
変わんねぇ。変わってねぇ。
変わったのはおれだけだ。
何故か惹かれて。
惚れちまった。

「お前達、その男、金は持っておらんぞ」
さっき店で散々散財しておったからな、とヅラ子が男達に言う。
その声に導かれるようにして、男達は土方をさっさと見捨てると、一斉にヅラ子の方へ移動する。

嘘だ。
真っ赤な嘘。
男達をトッシーから引き離すための嘘だ。
ああ、こうやってまたおれは何も出来ずに、結果、助けられてしまうのか。
おれがトッシーのふりをしているばっかりに!

そんな物思いを、段々大きくなり始めた男達の金をせびる声が打ち破り、土方は我に返った。
見れば、怯えるでもなく金をやるでもなくただ機械的な対応を繰り返す目の前の女に焦れた男達が、突き出していた手でヅラ子の髪や肩を掴み始めているではないか。

よせ、おい!
意外に気の短い所のある桂だが、相手がただの酔っぱらい連中とみてか今までは軽くあしらっていたので土方もどこか暢気に構えていた。
今、桂がまとわりつく手を振りほどこうと男たちに手でもかければ、それをきっかけに喧嘩騒ぎになるに違いない。しかも、下手をすると誰かに引導を渡すことにもなりかねない。
桂がああ見えて馬鹿力なのを土方は嫌というほど知っている。
慌ててヅラ子の方に向かいながら、それでも、自分の方が先に男たちを薙ぎ払ってしまいそうな勢いなのに土方は気付く。
やばい。
土方は、男たちをかき分けるようにしてヅラ子に駆け寄った。そして、あちこちつかまれながらも口をへの字に曲げて腕組みをしたままじっと立っているヅラ子の腕を引っ掴むと、 そのまま走り出した。
君子危うきに近寄らず。
三十六計逃げるにしかず、だ。

途中、ヅラ子が何度か叫ぶようにして話しかけてきたが、土方は構わずに行き交う人の間を縫うようにして走り続けた。 男たちの姿はとっくに見えなくなっていただろうが、せめて夜の喧噪を離れた場所にたどり着きたかった。

随分長い距離を走った気がしたが、それでも、時間にしたらほんの2、3分位だったろうか。
柳が夜風に揺れる川縁までたどり着くと、土方はようやく足を止めた。

「大丈夫か?」
自分がそう言ってやりたかったのに、先に声に出せたのはヅラ子の方だ。
そんな自分をふがいないと思いながら頷く土方に、ヅラ子は「偉かったな、トッシー」と心から嬉しそうな笑顔をみせた。





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