星宿 3

ヅラ子にそう言われ、土方は自分が今トッシーであることを急に思い出した。あろうことかそれまですっかり忘れかけていた。
「え?な…にが?」
今までトッシーであることを忘れていたことに気付いた動揺を押し隠し、土方はトッシーらしさを心がけながら、ヅラ子に問う。
「ん?」 ヅラ子は優しげに微笑んだままで言う。
「今までのトッシーであれば、怖いことがあれば急に土方の陰に隠れてしまっていたではないか」
なのに、今夜は最初から最後まで一人で頑張った。
だから、偉い、と。

それに、よくあの男たちの中に割り込んでこれたものだ。勇気があったな、と。

ああ、バレてねぇ。
よかった、と思いながら土方は複雑だ。
こうやってヅラ子が褒めてくれる自分はやはりあのへたれオタクのトッシーなのだ。
鬼の副長が頑張っただの勇気があっただのと攘夷志士に言われても、褒め言葉にはならないことも重々承知してはいる。 それでもやはり、釈然としないのは惚れているせいなのか…。

「黙りこくってどうした、トッシー?」
そう訊く声はやはり優しくて、土方はやるせない思いを溜息に紛らすことしか出来ない。
「どうしたのだ、トッシー?」
先ほどの溜息を心配してか、その声音が気遣わしげだ。
「なんでもないよ、ヅラ子たん」
さぁ、途中まで送っていくよ。そう言って土方は歩き出す。
近頃、閉店まで辛抱強く店の外で待っているトッシーに根負けした形で、ヅラ子が途中まで送らせてくれるようになっていた。
実際、いくら相手がトッシーであっても、大物攘夷志士の隠れ家まで案内されることはなく、ただ、ヅラ子にここまででよい、と言われるまで並んで歩くだけなのだ。
そう言われるのは大抵、トッシーにからみそうな酔っぱらいの少ない、それでいて屯所までの道のりが判りやすい場所であることに土方は気がついている。
なんのことはない、結局送られているのはいつもトッシーなのだ。
けれど、ヅラ子は「送ってくれてありがとう」と毎回言う。あくまで送っているのはトッシーだとでも言うように。
ああ、あんたのそういうところがたまらねぇ。
今夜はどこまでお供を許されるだろうか、と思いながら2、3歩歩き出して、土方はヅラ子がついてこない事に気がついた。いつもなら、自分でさっさと前を歩いていくというのに。
不思議に思って振り返ってみると、ヅラ子が草履を脱ごうとしているところだった。
「なにやってんだ?」
思いがけないヅラ子の行動に、つい地が出てしまい土方はそれ以上問いかけるのをやめる。
ヅラ子はそんな事には無頓着な様子でただ、ああ、鼻緒が切れたのだ、と応えた。
「切れた?」
「うむ、走ってる途中でな」
それで、さっき…と土方は思い当たる。先ほど走っている最中に、ヅラ子は何か叫ぶように話しかけてきたのだった。
「わ、ごめんねヅラ子たん、さっきこのことを言ってたんだね」
気付かなくて御免、と土方は頭を下げる。普段なら絶対に出来ないことでも、トッシーの姿をかりてなら出来る。それだけはありがたい。
「気にするな。両方とも脱いでしまえば、なんということはない。幸い足袋を履いているし」とヅラ子はあっさりしている。
「ほら」
脱いだ両の草履を片手に持つと、ヅラ子はすっと歩き出し、土方の前を通り過ぎた。
「待って!」
「どうした?今日は一緒に行かぬのか?」
「違う。でも、ヅラ子たん…歩き方が…なんか変だ」
土方は、驚きに大きく見開かれた目で見つめられるのを感じた。
ヅラ子に見つめられると落ち着かない気分になるのはいつもの事だったが、今夜は特にそうだ。
自分の不用意な発言で、とうとうヅラ子が自分に不信感を抱いたのではないかと土方は恐れた。
だが
ヅラ子は「ずいぶん細かい所に気付くようになたのだな、トッシー。まるで鬼の副長めいてきたではないか」とだけ言い、ほぅと小さく溜息をついたのだった。




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