春ごとに 花のさかりはー其のじゅうにー

いくら酔いつぶれているとはいえ顔に雨がかかったのでは近藤さんもおちおち寝込んでいられないらしく、最初のぽつり辺りで目を覚ます様子を見せた。
そこを総悟が素早く捉え、「桂だ!桂がいやすぜ!」と耳元で叫ぶ。
桂、の一言で、瞬時に起き上がってみせたのは局長として実に見事だった。
作戦としては間違ってねぇんだろうが…総悟の奴、いちいち心臓に悪いことしやがる。
桂も僅かに驚いたような顔で総悟の方を見ていた。
それに気付いた総悟は悪戯を咎め立てられた子供の様な顔をしておていてから、まるで邪気のなさそうな顔をして笑って見せた。
沖田もあんな顔で笑うのか。
ヅラ子さん…桂の前で。
気にいらねぇ。
「トッシー、ぼさっとするな、濡れてしまうぞ」
当の桂の声で我に返ると、近藤さんや総悟と三人で重箱やらシートやらの荷造りに励んでいる。
「ったく、つかえねぇなぁ。土方といい勝負だぜ、トッシー」
「そう言ってやるな、トッシーは人付き合いが得意じゃないんだ」
近藤さんはそう言って総悟をたしなめると、やおら桂の方に向き直った。
桂は一体何ごとかという風に近藤さんの方を不思議そうに見る。
「ヅラ子さん…こいつこんな風に抜けてますが、根はすごく良い奴なんですよ。元々のトシ…土方と同じくらい、いい奴なんです」

そう言う近藤さんを桂はじっと見つめている。
おれは実に居心地が悪い。
「みんな、トッシーのことは軽く見がちなんですが、あんたは違う。こうやってこいつと一緒にいてくれるんだ」
ありがたい、と近藤さんが頭を下げた。
総悟は黙って近藤さんと桂をかわるがわる眺めている。
この成り行きに戸惑っているようにも面白がっているようにもみえる。
「どうかこれからも、こいつと仲良くしてやって下さい。お願いします」
大声でそう言うと、近藤さんはまた深々と頭を下げた。
桂は近藤さんをじっと見たまま何も言わない。
近藤さんは雨に濡れながら頭を下げたままだ。
居心地が悪いどころか、いたたまれなくなったおれはどんな拒絶の言葉でもいいから桂に何か言って欲しいと強く願った。 雨音だけがおれたち四人を取り囲んでいるような沈黙に、これ以上耐えられそうにない。
「近藤……さん」
その声に、近藤さんがやっと頭を上げてくれた。
「人と人との付き合いは頼まれてするような類のものではない」
「しかし…」
「しかし、頼まれるでもない。おれはトッシーのことは気に入っているぞ」
近藤さんの話を遮るようにして続けられた桂の言葉に、近藤さんが肩の力を抜いた。その時の近藤さんのホッとした顔、おれは一生忘れねぇ。この人はこんなにもおれのことを思い心配してくれている。
トッシーのことは、の”は”に若干力が込められていたのが気になるが、桂の返事もありがてぇ。
総悟は…。
その目にほんの一瞬、ほの暗いものを宿したのをおれは確かに見た。

心中はめいめい色んな思いが渦巻いてはいただろうが、それを誰一人としておくびにも出さず、おれたちは四人で手際よく片付けを済ませた。
それから桂が五の重を大事そうに抱え、おれと一つ傘に収まった。
近藤さんと総悟は走って屯所に帰ると告げた。その総悟もやはり荷物を抱えている。残り物を一纏めにした重箱。持って帰らせて欲しいと桂にねだった成果。
総悟の腹はよめている。重箱を返すという口実でヅラ子さんに会う切欠を掴みたかったに違いねぇ。未成年の総悟が店に行っても、お堅いヅラ子さんに追い返されるのは目に見えている。堂々と会うには小賢しい知恵がいるって訳だ。どうやら花見の最中、次に会えるようにするための手筈の整え方を練っていたらしい。しゃらくせぇ。
お互いの内心はどうあれ、おれたちはにこやかに別れの挨拶を交わすと、それを合図に二方向へ散った。
神社から少し離れた辺りで、桂がやおら振り返り、桜に目をやった。
「誰も見る人がいなくなっちゃったね」
「桜の知ったことではないがな。桜は人のためではなく己のためにああやってただ咲いておるのだから」
口ではそう言う癖に、それでも桂は桜を愛おしげに眺め続けている。
雨でぼうっと霞む視界の向こうには、濡れて幹の色を濃くした桜木。
それらは桂の言う通り、見る人を失ってなお、己のために咲き続けていた。


戻る次へ