「不協和音」3

はぁ?沖田!?

どういうことだ?悪い夢なら醒めてくれ!

なぜこうも早くに己の居所がこの男に知れてしまったのか。土方はただただ不思議で、 そのせいか、ほんの一瞬ではあるが当の土方以上に沖田の方が余程驚いた表情を浮かべたのに気付かなかった。


「なんでてめぇがここにいやがるんでぃ!?」
「んだぁ、その言い種は!そりゃこっちの科白だ!」

普段の沖田以上にあからさまに剣呑な様子で食ってかかるように言われ、売り言葉に買い言葉、土方も、つい語気が荒くなる。

「だいたいなんだ、てめぇ。腹が減っただの、徹夜明けはだりぃだの、こんな昼真っから酔っぱらってんのか!ああ?」

「目の前の奴が素面かどうかも解らないなんて、あんたのその目は節穴ですかい?ああ、瞳孔開いててよく見えねぇのか。こりゃ、失礼しやした」

「上等だぁ、大体、誰のせいでこうなったと思ってやがる!」

「誰のせい?」

「なに他人事みたいな顔してんだ。おれの家にバズーカ撃った莫迦はどこの誰だ?おれがここに引っ越す羽目になったのは全部てめぇのせいだろうがよ!」

「そりゃ誤解でさぁ、土方さん。おれが撃とうとしたのは、おたくじゃなくてあんたの方だったんでさぁ」

淡々と言った後、まさかあの距離で外しちまうとは想定外でしたがね、と付け加えるとニタリと笑った。

んの野郎〜〜〜〜〜!


「くだらねぇ、どうやってかぎつけて来たのか知らんが、とっとと帰れ!てめぇに喰わす飯なんぞねぇ」

「おれぁ犬の餌を食いたいなんてひとっことも言ってやせんぜ」

「黙れ。それに今度この家を吹っ飛ばしたりしたら承知しねぇ、覚えとけ」

「安心してくだせぇ、次は絶対外しやせん。約束しまさぁ」

「いらねぇんだよ、そんな約束…って、おい、なんのつもりだ!?おい!」

沖田は、しかしそれにしても広い屋敷じゃねぇですかいーと淡々とした口調で呟きながら平然と土方の脇をすり抜けるとそのまま家に上がり込んで行く。


「待てって、こら」

「いいじゃありやせんか、減るもんじゃなし」

「減るか!」

「なら、いいじゃねぇですかぃ」

「そういう問題じゃねぇ」


大体おれは越してきたばかりで、まだ荷ほどきの途中だーという土方の嘘が聞こえているのかいないのか、 沖田はお構いなしに屋敷の奥にするすると足を進めている。
慌てて追いかける形となったが、それがなかなかに難しい。
わずかばかりの初動の遅れが 沖田の姿を見失わせた。

そもそも、襖を開け放しておれば追いやすいものを余所様の家という思いがあるのか、沖田に似合わぬ礼儀正しさと律儀さで丁寧にいちいち閉じているらしく、手がかりがない。
時々、襖を開ける音、もしくは締める音が微かに聞こえてくるが、あいにくと方向まではつかめない。
不思議なことに足音さえ届いてはこない。

一方の土方は、開けた襖を閉じるなどというまどろっこしいことはせぬまま、適当に見当を付けた方に進んではいたのだが、それでも 沖田に追いつけないままとうとう奥座敷らしき部屋にまで辿り着いてしまった。

くそっ!どこ行きやがった?

屋敷の広さを半ば呪いながら、踵を返し、やっとその姿をとらえることが出来たのは表座敷とおぼしき部屋。
どうやら怖ろしい速さで屋敷内をぐるりと一周して戻ってきたらしい。
土方がやっと追い付いた時、沖田は部屋の真ん中ほどに佇み、床の間のあたりをじっと見ているようだった。
そのまなざしの真剣さにつられるように視線の先を追ってみると、なにもないガランとした空間に一幅の掛け軸だけがぽつんと寂しく掛けられている。


「ほう、水墨画か…」

筆遣いの跡もくっきりと鮮やかに、季節の植物が生き生きと描き出されている。
生来絵に興味もなければ当然鑑識の目も備わってはいない土方の目にさえも、美しいと映った。


「おれより長く生きてる癖に知らねぇんですかい?こりゃ白描画ってんでさぁ」

土方の声に振り向きもせず、沖田が淡々と応えた。

「はく…?」

「しょうがねぇなぁ、今から教えてやるから耳の穴かっぽじってよぉく聞いてろよ、土方」

「何様だ、てめぇはよ!」


いきり立つ土方の方をまだ見向きもせず、ただジッと絵を見つめたまま、沖田は淡々と話を始めた。


「描かれているのは、蘭・竹・菊、そして梅」

「なめてんのか!んなもん、おれだって見たら判るわ」

「つまり、四君子ってやつでさぁ」

白描画に続き、またもや聞き慣れない言葉がさらっと告げられ、その沖田のらしくなさ故に土方は思わず黙った。


「それぞれで春夏秋冬、つまり四季を表してるとか」

「要するに1年掛けっぱなしでもいいってことか?横着者向きだな。それがなんでそんなご大層な名なんだかおれにゃ解らんが」

「各の持つ特質が、君子の特質に似てるところから名付けられたとか聞きやしたけどねぃ」

「ほお」


そんな話をこいつに聞かせたのは…そんなことを考えていると、ふいに今は亡きたおやかな女性の笑顔が思い出されてきた。 思い出すのはいつも幸せそうに微笑んでいる顔。
性格はちっとも似ていないのに、その面差しは目の前の小憎らしい男とよく似ている。
きちんと拭き清められた奥座敷に姉と弟が仲良く並んで座り、姉が目の前の掛け軸について優しく弟に教えている光景が いともたやすく浮かんできた。 弟は大人しく姉の言うことを聞いている。

そんな、実際には目にしたこともないはずの二人の様子が、ありありと。

我知らず感傷にひたっている土方を、そんなこととは露程も知らぬ沖田は置いてきぼりにして、饒舌に話を続けている。


「全部受け売りですがね、早春の雪の中で最初に花を咲かせる梅の強靱さ、冬の寒さにも葉を落とさず青々とし、曲がらずまっすぐな性質を持つ竹にー」

「なんだぁ、その教科書か辞書にはこう書いてありました、みたいな説明はよ!いらねぇんだよ、そんな話」

柄にもない物憂い気分を振り払おうと、土方はあえて乱暴に話の腰を折った。
すると、その言葉に初めて土方の方を振り返った沖田は、怒るでもなく嫌味の一つを口にするでもなく、
「土方さん、ひょっとして知らねぇんですかい…この…」
と言うとそれきり黙り込んでしまった。

「この掛け軸がなんだってんだ?」

「知らねぇんならいいんでさぁ、余計なこと言っちまいやしたかねぃ。この話はここらでやめておきやしょう」

素直に話しをやめてしまった沖田がいつにも増して不気味だった。

こいつがあっさりひくなんて…一体?

「なにを隠してる?」

「へい?」

「なにを隠してるんだって聞いてんだ!てめぇ、この掛け軸でなにかおれに隠さなくちゃならねぇようなことでも知ってるってのか?」

「なんでもありやせん。土方さんが知らねぇならいいんでさぁ。気にしないで下せぇ」

そんな返答では一度浮かんだ疑念はなかなか消えない。


「そういう言い方されっと余計気になんだろうがよ!」

焦る土方を横目に、沖田は涼しい顔で黙りを決め込んでいる。
本気でこれ以上は何も言う気はないらしい。

ちきしょう、なんだってんだ。
こいつはなにを知ってやがる?
知ってて隠そうとしてることは何だ?


「嘘ついてんじゃねぇよ、白々しい」

「ま、強いて言えば…」

「なんだ?」

「なんであんたがここを借りたのかが気になりまさぁ」

「他がみんな断られたんだよ。てめぇのせいでな!」

「へぇ…そりゃ本当で?」

「嘘ついてどうするよ!ま。おれだって不思議だとは思うがな」

「といいやすと?」

「店賃だよ、安すぎる」

「とかなんとか言って、ひょっとして組の金を着服してるとかじゃねぇんですか?もしそうなら全額返した上で腹切って詫びろ、土方」

「誰がするかぁ!」

「悪事が露見したってぇのに腹切らないなんて、往生際が悪すぎやすぜ」

「そっちもしてねぇ!」


またしても売り言葉に買い言葉だが、沖田に改めて指摘されることによって土方は先ほどまでの疑念を再認識した。

そう、どうして自分がこんな屋敷を借りられたのかという不思議。
そして、それは例のいわく付きの物件だからではないかという疑惑を抱きはじめていたということまで思い出すと、 沖田が訳ありげに隠し事をしていることの意味が、急に大いなる不安となって土方に覆い被さってきた。

今し方夢想した姉と弟、二人の語らいの図はどこへやら、きれいさっぱり消し飛んで、一転して禍々しい予感に囚われ始める。


おい、まさか!
まさか呪いの掛け軸とかっていうオチとかじゃねぇだろうな?

そう思い始めると、途端、絵の中に何かあってはならないようなものが浮き上がってくるように思えて、土方は慌てて視線をそらせた。


「土方さん、なんて顔してるんですかい?」

そんな様子を訝しんだのであろう沖田が訊いてくる。

「別になんでもねえよ」

「なんでもねぇって顔じゃありやせんぜ。そんな冷や汗までかいて。まるでこんな昼日中に幽霊にでも出くわしたような…」



その一言が、当然ながら土方の疑念をいや増すこととなった。


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