「不協和音」6
「え、なに?呪いの掛け軸がここにあんの!?やばくね、まじやばいよね!」
表から万事屋の声が聞こえてくる。
声音がどことなくわざとらしいのはひが耳ではないだろう。
十中八九どころか十中十、土方への嫌がらせに違いない。
くそっ、万事屋の野郎、あんなでかい声出しやがって!
呪いの掛け軸だぁ?
そんなものはねぇんだよ!……多分…いや、絶対にねぇ!
百歩譲ってあったとしても、この掛け軸のことじゃねぇ!
「ダンナぁ、なに言ってるんですかい。全くの勘違いでさぁ」
やる気なさげな沖田の声までが、扉を隔てた向こうからハッキリと聞こえてくる。
それは、二人が土方にわざと聞かせようとしているせいだったが、また、土方が無意識のウチに神経を研ぎ澄ませ、わざわざその会話を聞き取ろうとしているからでもあった。
誰にでも多少覚えがあるように、耳というのは、聞きたくないと強く願う音声を意図的にシャットダウンしようとすればするほど、巧みにそれを拾ってくれる天の邪鬼な器官だ。
土方も、聞くまい、気に留めまいと思えば思うほど、二人の会話に気をとられ、いっこうに落ち着かない。
「なに言ってるの沖田君!ちゃんと教えてやるのが親切ってもんよ?」
てめぇこそ何言ってやがる、万事屋!
そんな親切いらねぇんだよ!
小さな親切大きなお世話ってなぁ。
「徒に騒ぎ立てて不安を煽るのもなんでさぁ」
なんだ、その言い方は!
おめぇのその物言いこそが不安を煽ってんだろうが!
いや、煽られてなんざいねぇし、不安になんてなってねぇけどよ…。
「てめぇらどうせ示し合わせておれを怖がらせる寸法だろうが、そうは問屋がおろさねぇんだよ」
ドSコンビの戯言など耳に入れまいと必死になるあまり、とうとう土方は強がりをわざと声に出してみた。
が、生憎その声で外の声をかき消すことはかなわない。
聞くまいと、意識を逸らそうとどれだけ足掻いても結局は無駄に終わり、一言も聞き漏らされない胡乱な会話の全てが土方を苛み続ける。
いい加減表に出て一括してやりたいところだが、それこそ思う壺とばかりに
ジリジリしながら忌々しい奴らが芝居に飽きるその時を待った。
耐えた甲斐あって、散々丁々発止で騒ぎ立てるのに飽いたらしく、万事屋の
「ちょ、おれこんな所にいんのヤだから帰るわ」
の一声でお開きにした(らしい)。
帰れ帰れ!
さっさと帰りやがれ、せいせいする!
塩をまく、という考えが即座に浮かんだが、それでもあの二人のこと。土方を油断させておく為の方便という可能性もある。
土方は、二人の声が途絶えてからたっぷり15分は息を殺すようにして外の様子を窺った。
ようよう1刻とも思える長い時間を遣り過ごすと、
誰憚ることなく無駄に大きな音をたてながら、解いてある荷を更に漁り、本当に塩を探し出した。
引っ越し早々、碌でもねぇ。
やっぱり呪われてんじゃねぇか?
土方はそう悪態をつき、そのくせ、今し方、己が勝手に思い浮かべた”呪い”という言葉に自らとらわれ、慄然とした。
恐る恐る掛け軸の方に目をやると、蘭の花弁や竹の節々に異形のものを見た気がして…。
くそっ、おれは本物の莫迦か!?
こんなもの、いっそ燃してしまえばーという考えも浮かびはしたが、そんなことをしようものなら本気で祟られそうな気がしてためらった。
明暦の大火も、確か振り袖火事の別名の通り、確か寺で供養するために火にくべられた振り袖が風に煽られたのが原因ではなかったか?
だめだだめだ、万一そんなことにでもなったら目もあてられねぇ。
そもそも、警察官の端くれとして持ち主不明のものを勝手に処分するのも問題がある。
ならいっそお祓いにでもーと思いもしたが、わざわざ人を呼んで来るのも大仰で世間体が憚られたし、かといって己がその手で叱るべき場所に
持参するというのも更にとんでもない話で。
結局、土方は、手にした塩を庭に巻くかわりに床板に盛り塩をした。
正直掛け軸に近づくことすら嫌ではあったが、気休め程度にはなるだろうとやってみると、これが意外な効能をもたらした。
恐怖心が消え失せるとまではいかなかったが、和らげる効果は充分。
いい年をした大の大人が、しかもーこういう時に思い出したくはないのだがー真選組の副長ともあろう者が、おっかなびっくり掛け軸に近寄ると、お世辞にも丁寧とはいえないスピードで盛り塩をさっと終えて
しまったことを思い返すと、さすがに自分が恥ずかしく、馬鹿馬鹿しく思えるようになったのだ。
お陰で僅かばかり怖気を紛らわせることが出来、頭の片隅に浮かびかけていた引っ越すという欲求もどうやら押さえ込み、
解いておいた荷をあっと言う間にしかるべき場所、部屋に移し終えてしまった。
ところが。
忙しくしている間はよかった。妙なことを考えなくてすんだ。
しかし、こうやって手持ちぶさたになると、盛り塩の効果もここまでとばかりに、またぞろ落ち着かない気分がみぞおちのあたりからむずむずと這い上がってくる。
土方はそんな気分を押し込めようと、大慌てで他にやるべきことを思いつくべく懸命に頭を働かせた。
とにかく、身体でも頭でもいいから忙しくしておきたい。
すぐに近所への挨拶回りをするべきだろうという妙案が浮かんだものの、急いた引っ越しだった為、手土産の類など当然用意していようはずもなく、残念ながらそれは日を改めなければならない。
ちょっと待ってくれ。
他に何かやることはねぇのか?
この際なんでもいい!
なんなら、急な仕事でもいいぜ?
桂、なんて大物じゃなくても全然かまわねぇ。
下っ端の下っ端の、そのまた下っ端の三下みたいな奴でいいから、捕り物はねぇのかよぉぉぉぉ!?
普段なら相手にしないような小者でも、この鬼の副長自ら出張ってやるからよ!な?
いい加減にしろよ、歌舞伎町なんて物騒なのがウリじゃねぇのか?
なんで今日に限ってみんな大人しくしてやがるんだ。
どこかに犯罪者はいねぇのか?
土方はどっかりと腰を据え、懐から携帯をとりだすとジッと眺めた。
先ほどまでの騒動で着信音を聞き漏らした履歴がないかと一縷の望みに縋ったが…。
くそ!
鳴れよ、今鳴れ!
ほら、もうすぐ近藤さんから急ぎの連絡が来るぜ!
さぁこい!
……………………………
………おかしい、壊れてねぇか?
なぁ?
おい、鳴れよ!
鳴ってみせろよ!
違った、鳴ってくれって!!
切なる土方の願いが天に通じたのか、静まりかえった屋敷に土方を呼び出そうとする音が鳴り響いた。
「うおっ!?」
切羽詰まり己を見失うのは今日だけで何度目かと自省する冷静さの欠片もなく、段々冷静さを欠きはじめていた土方は、完全に虚を突かれ、
思わず携帯を投げ落とした。
が、当の携帯はうんともすんとも言わず、さすがの土方も、苛立ったように何度も呼び出し音が響いてくるのは玄関の方からであると認識するにいたった。
んだよ、そっちかよ。
「そう急かすな…」
全く違う音を聞き違えるこの耳が、どうして先ほどまでの聞きたくもない会話なら一言漏らさず拾ったのか、と
己で己に腹を立てながら、土方はまだ激しく自己主張しつづけている心臓を落ち着かせるべく、胸をさすりながらよろよろと立ち上がった。
誰だ。
今度は誰だ?
沖田、万事屋と碌でもねぇのが連続で来やがったからな、油断は出来ねぇ。
二度あることは三度あるって言うじゃねぇか。
けど。
まぁ、なんだ。
この際だ。
生き
てる人間と話せるのは気分転換としてはもってこいかもしれねぇ。
沖田の訪問を受けた時も似たようなことを思い、結局酷い目にあったことすらもう忘れて、土方はまたしてもいそいそと玄関へ急いだ。
吉と出るか、凶と出るか?
「あ…」
「どうして貴様がここにいる?」
そういや、三度目の正直とも言うよな確か…。
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