「道はそれぞれ 別れても」 その7


この子、その銀八って担任のことー
思いかけて、銀時は即断じた。
ないわ、それは、ない。
話半分に聞いてもとんでもねぇ不良教師じゃぁねぇか。蛇蝎の如く嫌われてるってんならまだしも、こんな真面目にクソがつくような生徒に好かれる要素なんてこれっぽっちもあるわけねぇ。 そうだよ、万に一つもあっちゃなんねぇ。なんか、そんな気がする。
なのに、「好きなのか?」自分でも驚くような言葉が飛び出した。
いや、それはそういう意味じゃなくて、授業中に変なことしたりーこれは、あれだよ、ジャンプ読んだりってことだよ?ー生徒が休みの日に学校来てんのにどこで何してるかわからねぇような担任なのにってことで、決して、その、あー
「なんか、寝てないから頭働いてなくてさ、その……」
しどろもどろな不細工な言い訳もつきかけて、銀時は、またぞろ髪に手を置いてくしゃりとやりかけた。
その手を止めたのは桂君の率直な一言。
「ええ」
なんのてらいもなく、桂君は言ったのだ。
「好きですよ」
表情一つ変えずさらりと言われた言葉の迫力に、空気も時間も、自分を取り巻くなにもかもが凍てついたように思えた銀時だったが、
「そっか……ま、がんばれや。がんばれってのも変な話だがー」
不自然にならないギリギリの間合いで、どうにかこうにかそれだけを絞り出した。
「本人を目の前にしてはとてもじゃないけど言えませんけどね」
「言ってやれよ。いや、やっぱ言わなくていい」
どっちですか、と桂君はくすくすと笑った。桂そっくりの仕草だ。
「向こうから言わせりゃいい」
桂君はくすくす笑いを止めた。
「こういうのは先に告ったほうが後々弱ぇもんなんだよ。正直、その銀八って野郎におめぇは勿体ねぇ、とおれは思う。せいぜい焦らしてやるこった」
「それは、坂田さんのご経験からのアドバイスですか?その、桂さんとー?」
「え? ち、違ぇよ! こりゃ、あくまで一般論だ」
「そうですか。"一般論"からの有り難いアドバイスをどうもありがとうございます」
狼狽える銀時に、桂君が丁重に頭を下げる。
「おいおい勘弁してくれよ」
わざとらしいにも程があらぁ。
「そんなことねぇから! 勘違いだから!」
「嘘はなしですよ」
桂君は笑う。
「気づいてらっしゃらないんですか?」
「おれ? なにを?」
「坂田さん、さっきから先生も俺を好きだという前提で話をされてるんですよ?」
可笑しくって。
あ。
やらかした。
なにしろ自分(それがただのそっくりさんであっても)と桂(これまたただのそっくりさんでも)の組み合わせだ。あり得ない、と思っているつもりでも どこかで認めちまってたらしい。そうあるべきなんだ、ってな。いや、むしろそうあって欲しい、か。
「あ〜」
銀時は、もはや間の抜けた声くらいしか出せない。
「でも、俺、嬉しいです」
「なん、で?」
「だって、坂田さんがそう思い込んでらっしゃるってことは、まんざら望みがなくもないってことでしょう?」
「え、なに、まさか完璧片想いっだってぇの?」
ありえねー。
「そう思ってました。今の今まで」
「そーなの?すっげぇ意外」
「多分、ですが。先生は禄でもないことばかり仰って……何を考えてらっしゃるかもよく解らないんです。すっとぼけてるというか、韜晦してるというか」
「その内解るようになるさ。っつーか、むしろ今は、そのわからなさを楽しむくらいでいいんじゃね?」
「そういうもんでしょうか?」
「おれが言うんだぜ?」
それ以上を銀時は言わない。
何も言うべきではないと思ったので。
いつか、きっとこの子はその銀八という男の、銀時とどっこいどっこいの底の浅さに気づく時が来るだろう。 そこに呆れながらも、きっと受容してしまうに違いないのだ。桂のように。そんな未来を想像するのは容易い。
そしてそのいつか、はそう遠くないいつかだろうと銀時は信じている。むしろそうならない方が不思議だとすら。だから、何も言う必要はない、そう思った。
それよりもなによりも、「わかりました。そうしてみます」と、そう言った桂君の表情が明るかったせいでもある。さばさばしたような、なにか吹っ切ったような。
やっぱ、一旦腹を括ると強ぇわ。さすがヅラーのそっくりさんだけのことはある。
ーところで、だ。そのヅラの奴はどうした?もう夜が明けちまう頃じゃねぇか?
ちぃとばかし遅すぎじゃね?
「ったく、ーなにしてやがる」
「桂さん、色々あるんじゃないんですか?」
先ほど坂田さんがそう仰ったばかりですよ?
当然のように桂のことだと判断したらしい桂君に、銀時はまたぞろ居心地の悪い思いをさせられた。
「なんでおれより落ち着いてんの?ヤキモキしねぇ?」
早く源外の所に行きてぇだろうに、てか、元いた所に帰りてぇだろうに。
「焦ってみても仕方ありません」
「強ぇな。ヅラ並だ」
感心する銀時だったが、桂君はいいえ、と首を振った。
「俺は強くなんてありませんよ」
「おれから見れば充分強ぇ。おれならもっとパニくってらァ」
「俺は先生を信じてますから」
桂君が意外なことを言い出した。
「先生は必ず迎えに来てくれます。それがダメでも、向こうで出来るだけのことをしてくれてるはずなんです。だから俺は俺で、 こちらで出来るだけのことをして待つだけです。で、今できることは、落ち着いて桂さんと新八君を待つこと、それだけですから」
「……そんなに惚れてんのか……」
「むこうがね」
今までとは真逆なこたえに銀時が驚いたのも束の間、
「嘘ですよ。さっきの仕返しです」
悪戯っぽい眼差しで桂君が言う。
「たとえ消えたのが俺でなくても先生はきっとそうします。いい加減なことしか言わない人なので信用は出来ませんが、教師としては信頼出来ます」
「おれにはその違いがわかんねぇけど?」
「俺が解ってるからいいんですよ」
「そ」
なんだ。俺より少しはまともな奴なんじゃねぇか。
ホッとするような、ムカつくようななんか複雑な気分だが、この子にとっちゃいいことに違いねぇ。ま、ここは素直に評価しとくとするか。
銀時の気分が晴れるのを待っていたかのように、二人のいる部屋にも日が差し込んできた。奥まった部屋であることを思えば、夜が明けてしばらくたつ頃のはず。時計で確認すると、8時少し前。
「こりゃ、ヅラより先に新八が来るな」
ひょっとしたらあいつが一番ヤキモキしてるかもしんねぇし。
どれ、少し早いが朝飯の準備でもすっか。そう言って銀時は立ち上がった。
ずっと座っていたせいか、背中や足が少々痛む。
「なんなら少し寝てろよ。ちゃんと起こしてやっからよ」
大きく伸びをしながら、言えば、
「いえ、大丈夫です。それより何かお手伝いでも?」
桂君も座ったまま両腕を伸ばしている。
朝日の中で二人してそんなことをしていると、寝起きの大きな猫のようで可笑しくなる。徹夜明けのテンションの高さそのままに、どちらからともなく笑い出せば、明るい声に呼応するかのように呼び鈴が鳴った。
「新八だな」
「桂さんかもしれませんよ?」
「あいつの鳴らし方じゃねェ」
うっかり言ったものだから、また桂君に笑われた。
「……時間からみて新八だ」
言い直しても後の祭り。桂君は更に笑みを深めるだけ。
また、やっちまったか。
「8時。坂田さんの仰るとおり、新八君ですね」
にっこりされても、今はその気遣いが辛い銀時だ。
「そ、そいでもよ、万が一ってこともあっから、おめぇはここにいろよ?」
どうにか真顔を取り繕って重々しく指示しても、彼の肩の震えを止めるだけの力はない。むしろ、震えは激しくなっている。
しかも「わかりました」なんて生真面目に肯かれてしまうと、恥の上塗りをしているだけの銀時には触れられたくない傷を抉られる思いだ。
それでも行き掛かり上、警戒心丸出しのオーラを振り散らかしながら玄関へと向かった。
「誰だ?」
新八だと知りながら叫ぶこっ恥ずかしさときたら、つい芝居がかってしまうのも仕方ない。
「おはようございます」
扉越しに帰ってきたのはどこか間延びした、そのくせよく通る声。
「っつーか、初めまして。坂田銀八といいます。ひょっとしてうちの子、お世話になってませんか?」
うわぁ。
……来ちゃったよ。


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