「鳥と名と 5」


おれととくじが最終目的地である白神神社に着いたのは、いつ頃だったのだろうか。
やはり記憶は不鮮明だ。
旅はとても長く倦んだものだったような気もするし、ずっとこのまま続けばいいと願ったものだったような気もする。
それも、今となってはどうでも良いことだ。その他諸々のこと同様に。

とにかく、おれ達が辿り着いたその神社でまず目にしたのは、驚くほど大きな石造りの立派な鳥居だった。
初めて見るその鳥居の偉容に圧倒されて立ちつくしているおれに、とくじはここで待つようにと簡単に告げてどこかに消えた。
鳥居の威圧感と石造りの冷たさに、おれの心は押しつぶされそうだった。
もう、とくじと別れる時が来たのだという寂しさもあったかもしれない。一緒に旅をしたのだ。情も湧いて当然だったろう。

「おお、あちらが?」

しわがれた声がした方を向くと、深いしわが顔中に刻まれた老人がとくじと一緒におれに方に向かって立っていた。
その老人の服装は、見た目には一般的な神主の装束だったのだと思うが、無紋の白狩衣に無紋の白差袴という白づくしだった。
今になって言っても仕方のないことだが、おれやとくじに相応の知識があれば、それが特別な行事も何もない日にしては少し奇妙な装束であったのが判ったはずだ。
が、むろん、そんなことはおれにも、田舎の一老人であるとくじにも判るはずがなかった。第一、おれはその老人こそがとくじの言っていた神様という奴か、と思ったくらいなのだから。
なのに、おれの側に戻ってきてくれたとくじにそっとそれと訊いたのを耳にしたのだろう、その白い老人は
「いいえ、滅相もない。むしろ、神様に近いのはあなた様のほうでございます」
おれに嬉しそうに言った。
「おれ?」
「はい」
「な、んで?」
「それはもう、一目で判ります」
「……」
「あなたこそ、我々に必要な、いつか救いの御子となられる和子でございます」

おれは何を言われているのかさっぱり解らず、今度は”あこ”ではなく”みこ”とか”わこ”と呼ばれるのだろうか、と思っただけだった。
が、老人の言葉を聞いたとくじは、心底ホッとしたような顔を見せるとおれに微笑みかけた。 そうして、おれの肩を抱くと、よかったな、よかったな、と顔をクシャクシャにして繰り返した。
その時、とくじの目に何か光るものをおれは確かに見た。ひょっとしたら泣いていたのかもしれない。

とくじは、その夜一晩だけおれと一緒にその神社に世話になると、翌朝早く村に帰っていった。
別れ際、「こちらで大事にして貰うんだぞ」
おれの頭をくしゃりと撫で、そうして行ってしまった。おれの母親のいるあの村に。

それがおれがとくじを見た最後だった。

とくじが去ると、おれはとうとうあの村から完全に切り離された存在になってしまった。

とくじと別れたその日から、おれは”みこ”ではなく”わこ”と呼ばれ始めた。
初めに名前を聞かれた時、「ない。あこと呼ばれていた」と応えると、老人いたく喜び、 本当にとくじの言っていた通りだ、とおれは単純に感心した。
その上、名前という縛りがないのはとても良いことです、とも言われた。
なんで?と訊くおれに老人は答えをくれず、
「私どもは、今日からあなたのことを”わこ”とお呼びします」
短く告げられた。

逆におれがその老人の名を問うと、老人は「私のことは”ごんぐうじ”とお呼び下さい」
とだけこたえたのだった。

その神社には、ごんぐうじの他にも、”ごんねぎ”や”ねぎ”と言われる男たちがいた。
おれは”わこ”と呼ばれ始めた日から、彼らによってとてもとても、大切にされた。
夜は、家ではお目にかかったこともない温かで柔らかな布団にくるまり、起きると食べられないほどの食事を与えられた。
家でやらされていたような雑用をこなすことも求められず、雨風の凌げる屋根の下で、自由気ままに過ごしていればよかった。
ただ、さすがに日がな一日じっと籠もっているのは退屈なので、よく境内で一人遊びをした。
おれにはたいがいのことが許されたが、境内から外へ出ることと、神社の者以外と口をきくことは堅く禁じられていた。
とはいうものの、そのような者が来ることは稀だったはずだ。 参拝者もろくに来ないどころか、格好の遊び場であるはずなのに、子どもの姿を見かけることもなく、おれは実質一人だった。
神社のものですら、誰一人として必要以上におれにかまわなかった。
丁重には扱われたがどこか機械的で、普段は放っておかれているように感じもした。
ごんぐうじにいたっては、初めて会ったあの日以来、全く姿を見せていなかった。

ただ、いちど石段の上から飛び降りて足を怪我した時は、えらく心配されて大騒ぎになったことを覚えている。
そんな風にあからさまに人から心配されたのは生まれて初めてだったので、おれはとても驚き、また安心した。
特別放っておかれているわけではないのだ、と。
それからは人に心配を掛けないよう、なるべく羽目を外さないように気を付けるようになった。

おれは同じ年頃の子どもの姿を見ることもなく、当然、一緒に遊ぶこともなく、ただ、眠り、食べ、一人で遊び、風呂に入れられてまた眠った。

それでも、後から思えばそんな日々はそれなりに幸せだったのかもしれない。


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