「鳥と名と 16」


「わたしが聞いてきたのは大体の場所だけなんですよ。近くを通り掛かったら、わかりますか」
ぎんとき、と松陽は訊いた。
坂田の金時の名前にあやからせようと決めたものの、そのままでは拙いという分別はさすがにあったらしく、金時の”金”を”銀”にかえておれは銀時と決められた。

「綺麗な銀髪をしてますからね、あなたは」
松陽は目を糸のように細くしてニコニコした。

「ぎんぱつ?」
「髪のことです。髪の色が銀色でしょう?」
「白じゃねぇの?」
「白髪と言ってしまうと、おじいさんのようですからね。銀時、でいいでしょう」

銀時、銀時、銀時ーと新しい玩具でも与えられたように、松陽は歩きながら何度も何度も歌うように自分が決めたおれの名前を繰り返した。
名前の良し悪しなど解らなかったが、松陽があまりにも嬉しそうで、楽しそうだから、おれは銀時という言葉の響きは悪くない、と思った。
ぎんとき。
うん、悪くねぇ。

白神神社の場所を聞く松陽に、おれは、近くを通れば絶対解るとだけ答えた。
「では、もうすぐ日も暮れますから、明日朝早く一緒に探すことにしましょう」
神社は見つけられませんでしたが、あなたを見つけることが出来た。
それで一日の収穫としては上等です。
今日はもう帰りましょうね。

帰る?
どこへ?

「今日のところはわたしがお世話になっているお屋敷に。ほら、あそこにもう見えてます」
背負われたまま見えたそれは、今までに見たどんな家よりも大きくておれを萎縮させるには充分だったが、松陽はおれを揺すり上げるようにしてしっかり背負い直すと、 前を向いたまま「大丈夫ですよ」と言ってくれた。

わかるんだ。松陽には。おれの思ってることが。
自分の気持ちを言葉にしなくても解ってくれる人がいる……それは今までに感じたことのない喜びだった。

「ただいま戻りました」
はぁーい、と言う声がしたと思うと、松陽と同じくらい穏やかそうな男が木戸を開け「お帰りなさいませ、松陽先生」と頭を下げた。
「ただいま」
松陽が繰り返し頭を下げたところで、その男とおれの目がバッチリ合い、男が目を丸くするのが見えた。

「先生……こちらのお子は?」
「今度からわたしの塾で学ぶ子で、一緒に連れて戻ることになったのですよ」
名は、坂田銀時というのです。
「坂田……銀、時……ですか?……それはまた………」

男はそれきり口を開けたまま何も言えなくなってしまったが、松陽がそれを見て笑っているらしいのが、背中から伝わる振動でおれには判った。
おれはなぜ松陽が笑っているのかが解らなかったが、それよりも、松陽は本当は”しょうようせんせい”という名前なのだろうか、ということが気になっていた。
長い名前は短くしてもいいのだろうか、と。
だから、おれはさかたぎんときなのに、ぎんときと呼ばれているのだろうか、と。

色々と間違っていたわけだが仕方ない。
おれはそれまで色んなことから隔離されていたのだから。

その日は久し振りに風呂に入れられ、身体中を隅から隅まで洗われた。
色んなものを洗い流されたお陰で、風邪でもひきそうな程さっぱりしたおれは、松陽と同じ部屋で飯が出てくるのを大人しく座って待った。
身体はぽかぽかと心地よく、珍しいことに空腹感よりも強い 眠気を持てあましながら、どのくらいそうしていただろう。
「遅くなりました」
襖の向こうから男が声をかけてくれたのは、とっぷり日が暮れたころ。
灯りとともに部屋の中に運び入れられた米櫃から、 松陽手ずからよそわれ、おれの目の前に差し出された飯は実に上手そうな匂いをしていたのだけれど……あろうことかおれの髪と同じ色をしていた。

白い飯。
おれは狼狽えた。
気を付けろ、といわれていた飯の色。
白神神社から出て行く切欠となった飯と同じ。
おれは思わず松陽の方を見た。
松陽はおれを真っ直ぐに見て
「どうかしましたか、銀時?」
静かにたずねた。

「おれの髪や目と同じ色の飯には気を付けろって……」
「それは……どなたが?……だれがあなたに言ったのですか?」
「おっかさん」
とくじがおれの母のことをそう言っていたのを思い出して、おれはそう答えた。
「母御がおれらるのですか?」
「いる」
ははご、というのは多分おっかさんのことなのだろうと思い、おれは頷いた。
確かにおれには母がいたのだから。
「どちらに?……お家はどこですか?」
「知らない」
「お家があって母御がおられて、なぜ、神社に?」

松陽に問われ、おれは松陽に出会うまでの話をした。
何しろ語彙が少なかったのでどう伝えればいいかかなり頭を悩ませたが、それでも当時のおれなりに一生懸命話してきかせた。
ずっと家の中でだけ暮らしてきたこと。
山火事のこと。
母が別れの折りに言った奇妙な言葉。
一緒に旅をしたとくじ。神社での暮らし。
そして、不思議な客のこと。おかわいそうにと言われて不安になったこと。

ある日、白い飯を出されたこと。
母の言葉を思い出し、逃げることにしたこと。
逃げてからのこと。
百姓とのことや鬼と呼ばれ始めたときのことをみんな、みんな。

松陽は、おれに好きなように話させた。
ときおり、言葉を濁すおれを元気づけるように頷いたり微笑んだりする以外はおれが話し終わるまで一言も口を挟まず、じっと聞いてくれた。

「あなたは本当に賢くて、勇気があったのですね」
おれの頭をなで回しながら松陽は言った。
「一目見て判りました。やはり私は間違っていなかったようですね」
うん、うんと一人頷く松陽が可笑しくて、こんな時なのに、おれは少し笑ってしまった。

「おや、少し元気が出ましたか?」
松陽は笑顔を更に深め、
「さぁ、御飯をおあがりなさい。これからはもうなんの心配もいりませんから」

松陽に促されただけで、不思議と本当になんの心配もないのだという気になり、おれは飯に箸をつけた。
飯は今まで口にした、どんなものより美味かった。
そうして、神社を出て以来ーいや、ひょっとしたらあの村を出て以来かもしれないー初めてゆったりとした気持ちで食事を終えた。

そしてその夜は神社を出て以来、はじめて綿の入った布団にくるまった。
屋根の下で、命や明日の飯の心配をしないで夜を過ごすのも本当に久しぶりのことで、おれはこれが夢なら醒めないで欲しいと願いながら眠りについた。

今思えば、酷く汚れて悪臭でも放っていたろうに、なんの躊躇いもなしにおれを背負った先生や、風呂に入れたり布団に寝かせてくれたりしたその屋敷の主たちには、 いくら感謝してもしきれない。

皆、もう会うことのかなわない人ばかりだが。



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