「鳥と名と 17」


「銀時、銀時」

なんだ、ぎんときってなんだ?
誰だ?おれを揺さぶるのは?
やめてくれよ、おれはまだ眠ぃんだ。

「朝ご飯ですよ」
飯?
その一言をおれの耳が捉えるや否や、腹の中がきゅうっと締めつけられるように痛み始めた。

「銀時、起きなさい」
ああ、そういやおれがぎんときだっけ。
そうか、この声はおれを呼んでいるんだ。
誰が?
ごんぐうじ?
違う。
ねぎ?
違う。
誰だ?
誰。
「誰?」
誰、おれを呼ぶのは誰だ?

「わたしですよ、松陽です」
しょうよう?
ああ、そうだ。
おれにぎんときという名前をつけた松陽だ!

寝起きで鈍っている頭がやっと正解を導き出したおれ目は、朝からニコニコしている男の顔をぼんやりと捉えた。
松陽だ。
松陽がいる。
昨日と同じ顔で、笑ってる。
松陽は夢じゃなかったんだ。

「まだ起きるのには少し早いんですが、神社を探す時間が欲しいですからね。だから」
早くお上がりなさい、そして一緒に見つけましょう。
その一言で、おれは跳ね起き、用意されていた膳に突撃した。
膳の上にあるのは昨夜同様白い飯だったが、おれは松陽に言われたことを思い出し、躊躇うことなくかきこんだ。
松陽は嘘なんかつかねぇと、おれはもう知っていたから。

「さ、これを」
飯を食い終わり、顔を洗って身支度を調え終わる頃、昨日おれ達を迎えてくれた男が部屋にやって来た。
差し出されたのは、どうやら握り飯が入っているらしい竹の皮の包み。
どうすれば良いものか判らず思わず松陽の方を見ると、松陽がコクリと頷いた。どうやら受け取っていいらしいとわかり、 おれはおそろおそる男の方へ手を出した。

「少し重いですから気を付けて下さいよ」
男は松陽に負けないくらいニコニコとしながらおれの手に包みをそっと置いた。
包みは男の言う通り少し重く、そして、まだ温かかった。

その温もりが冷めない内に、おれと松陽は屋敷を出た。
大人同士の丁寧な別れの挨拶が交わされるのをボーッと眺めていたら、男がおれにも頭を下げたので、おれも慌てて見よう見まねで頭を下げた。
それを見て、松陽は相変わらず 微笑んでいた。

男に見送られながら、おれと松陽は神社を目ざし、歩き出した。
おれは昨日松陽から貰った刀を握りしめていたので、握り飯は松陽が持った。
時折振り返ってみると、男はいつまでもおれ達の方を見ていた。
おれがずっと気になっていたことを松陽に訊く勇気が出たのは、その姿が豆粒程になった頃。

「なんで怖くねぇの?」
「なにをですか?」
「おれ」
松陽も、あの男も。

「こんなに可愛い子のどこを怖がれというのですか」
松陽は、おれのことを可愛いと言う。昨日もそう言った。
さすがのおれも、それがなにかしら温かな気持ちから出てくる言葉であることは理解していたように思う。
だから、余計に解らなかった。

「みんな、おれを怖がった」
「みんなではありませんね。すくなくともあなたのお母様や、とくじと仰る方、そして神社におられた方達はあなたを恐れたりはしなかったのでしょう?」
そうだ、とおれは言った。
「ね?少しでもあなたとお話ししたり、一緒にいれば怖くいことなんかないことはすぐにわかります」
「でも百姓たちは」
「それはあなたがそんなナリで、刀を振るったからですよ。本当に恐れていたらそもそもあなたをからかったりなどしません」
「そうじゃなくて」
「はい?」
「おれのいた家があった……」
「火事の時のですね?」
「……うん」
「それは不幸なことでしたね、あなたにとっても、その方たちにとっても。でもー」松陽は一旦言葉を切って、おれの目をじっと見ると「誰が悪いわけでもありません」と言った。
「……誰も」
つまり、おれも悪くないんだ。松陽はそう思っている。

家を出されて以来、心の裡に棲み着いていた罪悪感がその言葉でようやく薄らいだ。

今でも完全に消え去ってはいない罪の意識が薄らいだだけでも、それはそれで幼いおれにしてみれば大したことだった。

「強いて言えば、知らないということが元凶ですか」
「げんきょう?」
「はい。村のお百姓さんが火事の時にあなたを見て驚き、恐れたのは、あなたのような髪や目の人を見たことがなかったせいです」
「とくじは見たことがあるって言ってた」
「そうでしたね。ですから、とくじさんは知っていたのです、あなたのような人もこの世にはいるのだということを。だから、あなたを恐れなかった」
「松陽も?」
「知っていましたよ。とくじさんと違って直接この目で見たことはなく、書物ー本ーで、ですけれど」
「本?」
「いつかあなたにも読んでいただきましょうね、その本」
おれは本というものがどんなものか想像がつかないまま、ただ頷いた。

先生はそれを見て笑っていたが、今になって思うと、それは、おれがこの先真面目にそんな物を読みはしないだろうということを解った上での 微笑みだったような気がするのだ。

あの人は、何でもお見通しだったのだから。おっかねぇことに。


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