「どんなものにもでも例外ーちがっていること、とでも今は言っておきましょうかーはありますが、神社に禰宜(ねぎ)と呼ばれる人は一人しか居ないはずなのですよ。
でも、ここには沢山の禰宜と呼ばれる人がいたのでしたね」 先生はまた急に話を変えると、どこか遠くを見つめながら、独り言でも言うように 淡々と言葉を紡いでいった。 おふくろのことに思いを馳せていたおれは、松陽の言う「ねぎ」という言葉に急激に目の前の現実に引き戻され、ふらふらとあちらにとび、こちらにとびしていた松陽の話が、 やっと核心に触れ始めたのを感じずにはいられなかった。 そうなると、木々が足元に落としている陰までもがなんだか不気味に見え始めたのだった。 それは…どういうことだろう? 松陽は…何を言いたい? 「あなたがいたというのだから、間違いなく、ここには禰宜と呼ばれる人が何人もおられたのでしょう」 そうだ。 その通りだ。 おれは禰宜達に飯をもらい、風呂に入れられ、髪を梳かれ、着替えを差し出され……… そうやって生きてきた。ここから逃げ出すまでは。 だから、いた。 間違いなく、禰宜達はいたんだ。 「つまり、ここは神社ではなかったのでしょうね」 な…んだって?でも…だって……。とくじも………。ここはー 「けど、白神神社って…」 名前が、ある。 ここには白神神社という名前がある! 「確かに、長い間そう呼ばれていたようですね。とくじさんという方は、だいぶお年寄り…おじいさんだったのでしょう?」 「うん…」 とくじは、自分の髪が白いのは年寄りだからだと言っていた。おれと違って。 「あそこ」 松陽はまた鳥居の上、額束を指差した。「あの蛇の絵の横にもはっきり書かれていますね。白神神社、と。自分でそう名乗り、人からもそう呼ばれて、ここは白神神社になったのです」 「でも、神社じゃない?」 「ええ。違います」 おれの問いにすぐ返ってきた短い答え。 しかも随分とはっきりした、松陽らしからぬ強い語気で。 おれがそれに驚く間もなく、松陽は、また話を変えた。 「あなたが突然呼ばれはじめた御子、というのは神様の子どもという意味なんですよ」 神様の子ども?おれが?なんで? 松陽の言葉が足元の陰の色を更に濃くし、その形を奇妙なものへと変えていく。 「とんでもないことです」 いっそう強い口調で断じる言葉の強さにおれも頷いた。 そりゃ、そうだ。 今度ばかりは松陽の言いたいことがよく解る。おれが神様の子どもでなんかあるはずがない。 だって。おれはー 「あなたをそんなものにしてたまるものですか」 え? 松陽の言うことが、また解らなくなった。 「そもそも、ここに神様なんておられません。今も昔も。なのにー」 「神社を名乗るなんて、烏滸がましいにもほどがあるというものです。 いえ、銀時流に言うなら、莫迦なんです」 それは今までに聞いたどの言葉よりも思いがけない言葉だったので、おれは多分ギョッとした顔でもしたのだろう、松陽はそんなおれを見て、ふふ、と含み笑いをして見せた。 口の端がきゅっと上がり、まるでVの字のようになっていたのを思い出すと、今はただ、懐かしい。 当時はそんなことを思いもしなかったが、先生はあれで結構茶目っ気もあった。 第一、まだまだ年若だったのだ。 そう。今ではおれの方が歳をとっちまったくらいに。 |