おれが生まれるずっとずっと前。 松陽が生まれるずっとずっと前。 そして とくじも生まれるずっとずっと前。 その男は死んだ。 半ば自ら望むようにして死んでいったのだという。 百太郎が暮らしていたのは小さな農村。 水の枯渇は飢えに直結するというのに、その村は水の便が悪く、広くもない田畑を潤すのは、ただ雨のみ。 そんな村で生きていく為に、村人達は代々自力で土地の開墾を進め、水を確保する為の灌漑用水路を造成し、堰を造っていた。 百太郎をはじめとする村の人々は幾度となく体験した旱魃の苦労を思い、旱害に怯えながら暮らしていた日々を思うことで、 その難工事に果敢に取り組んでいたのだ。 けれど、そうやってやっとの思いで造った堰も、造る端から洪水で流されてしまうことも珍しいことではなく、その度に村人達は打ちのめされそうになったが、やはり自然との闘いをやめはしなかった。 生きる為に。 貧しい村で、苦役の日々を過ごしながも村人達は協力し合い、助け合いながら暮らしていたし、百太郎もまた、老いた母を敬い慈しみながら、それなりに幸福に過ごしていただろう。 その日は秋祭りとあって、小さな村の人々は誰も彼もがいつもより浮き立った心持ちであった。 村一番の孝行息子と評判の百太郎とて例外ではなく、毎朝老いた母の長命を祈りに通う神社へ今日も足を向けながら、なんとはなしに己が身体が陽気な空気にまとわりつかれているような思いにとらわれていたのだった。 これは吉兆ではないか、長らく伏せっている母が回復する兆しなのではないか、と百太郎は嬉しく思いながら鳥居をくぐろうとしたのだったが、その時、 ふと視線を感じて振り向くと、青ざめた顔をして立っている庄屋と目があった。 はて、庄屋さんがあんな顔をされてらっしゃるとは、なんぞ困ったことでもあったのか、と。 祭りの日だというのに困ったことだと百太郎は思い、鳥居をくぐるのをやめて庄屋の元へ足を向けた。 祭りの日だというのにどうしてそのように冴えない顔をされているのかーと、心底心配顔で問うてくる百太郎の目を、庄屋はまっすぐ見ることが出来なかった。 庄屋は百太郎が幼い頃のことを良く覚えている。 遠い日の姿を思い起こしてみても、今と変わらぬ孝行者で、働き者だった。 なぜ、この純朴な男なのだろう。 なぜ、この男でなければならないのか。 なぜ、百太郎なのか! 自分を気遣わしそうに見ている百太郎の心根を思い、その老母のことを思うと庄屋はこのままこの場から逃げ去りたい衝動にかられた。 が、庄屋という立場がそれを押しとどめる。 己は村を守り、村人を守り、その暮らし守らねばならぬ立場の者だ。 逃げるわけにはいかない。 庄屋は心を鬼にして、百太郎に話し掛けた。 「おまえが選ばれてしまったよ」 「お祭りの前の夜、庄屋さんは夢を見たのだそうです」 あの日、先生に手を繋がれ二人して足早に帰路を急ぎながら、おれは長い長い話を聞いていた。 おれも先生も知らない男の話。 遠い昔の物語を。 よく解らない言葉も多かったが、途中、意味を尋ねたりして先生の話を止めたりせず、おれは一生懸命その話に耳を傾けていたように思う。 先生も歩調に合わせるようにして淡々と、それでも途切らせることなく語り続けていた。 「どんな夢だ?」 おれが初めてそう問うまで。 |