「鳥と名と 31」


「あなたはもう少しで百太郎さんと同じような目にあわされるところだったのです」
松陽はいつもと変わらない穏やかな口調で、でも、はっきりと言った。

ああ、とおれは思った。
そっか、そうだったのか、と。
ただ、それだけ。恐ろしい話だと頭では思いはするのに、ちっとも怖くはなかった。
だってそんなことはもう知っていたから。

後年、この日のことを思い出した時、ふと考えた。
もし先生から
「おまえはもう少しで殺されるところでした。生き埋めにされて」
という具合に直裁な言い方をされていたら、ガキのおれはどう思っただろう、と。
百太郎の話もなく、 先生に何度も「おこらなかったこと」「これからもおこらない」と前置きもなしだったら、と。

答えはすぐに見つかった。
おれはいたくショックを受けたに違いない。
なんでそんな目に、と疑問を抱くゆとりすらなく、ただ怖くて怖くてたまらなかっただろう。

多分、先生にとって、そしておれにとっても何より大事だったは、おれが自分で”おこらなかったこと”に気がつくこと、そして、なぜ”おかわいそうに”と言われたのかを知ることだった。
そして百太郎に起こったことを恐ろしく思う以上に、彼にそうさせてしまった周囲の人間への怒りを覚えることだったろう。
ガキのおれが、無茶な要求をした水神や、それをまんま信じた庄屋に村の連中、そして百太郎にすら抱いた”嫌だ”という感情は、まさしく”怒り”だ。
ぶっちゃけ”怒り”なんてものは、抱かなくてすむならそれにこしたことはねぇし、押さえ込めるのなら、それもまたいい。
が、怒るべき時にはきっちり怒らなければならないとおれは信じる。
言葉で教えられたことはないが、 怒りの発露は、人としての矩を踰えさえしなければ、時としてその抑制と同程度に大切である という考えを、後々先生は身をもって教えてくれたように思う。

そう思い返すと、持って回ったような先生の長ったらしい話は、少なくともガキのおれには十分有効だった、と思うのだ。

ともかく、先生がおれに伝える上で一番危惧したと思われる、”世話になった人たちに殺されかけたという現実”をおれが淡々と受け止めたことに安堵したらしく、 その後も先生はいつもと同じように話を続けた。
実際、いつもと同じ様子に見えた先生も、さすがにガキ相手に殺されかけていた現実をどの程度まで遠回しに悟らせることができているかが気になって、 面には出さなまでも内心は緊張しまくってたんじゃないかと思うんだが……。
いつかおれがおっ死んで、無事に極楽浄土とやらに行けたとしたら先生に訊いてみたい気もするが、訊かなくても答えは解る気がする。

にこっと笑って
「そんなことはありませんよ、銀時。私はあなたを信じていましたからね。あなたは聡明な子でしたから
」なんてことを臆面もなく言ってのけるに違いねぇんだ。
穏やかな声まで脳内再生余裕だ。
懐かしすぎて 涙出そうになるじゃねぇか。くそっ。

ともかく、だ。
白神神社がーと先生は話を継ぎ、蛇について語り始めた。

「白神神社が奉っている蛇は、神様として大切にされることもありますし、神様のお使いとして大切にされている場合もあります。お使いというのはー」
説明を加えようとしてくれる松陽に、おれはとくじから聞いて知っている、と言った。
松陽は、「そうですか」と何故か嬉しそうに頷くと話を続けた。

「蛇は、その姿から嫌われてしまうことも多いのですが、鼠を食べてくれるので大切にされてもいます」
鼠だって可愛いんですけど……お米を食べちゃいますからねーと残念そうに言うのが可笑しかった。
やっぱり変な大人だ。

「今は弁天様と宇賀神様という二人の神様についてお話しします」
そこで松陽は話を止めたが
「あなたは神様を信じてないそうですが、我慢して聞いて下さいね」
戯けたように言い、ニコリとした。

松陽はそれから弁天という女の神様の話をした。
もともとは外つ国の神様だったこと。そこで川の神様だったこと。
この国にその神様がやってきたとき(どうやって来たんだ?ーと思ったが訊かなかった)、川が 流れている様子と、蛇の姿が似ているので、その神様のお使いが蛇になったのだと。

「なった?」
なったってなんだよ、それ。

「人が勝手に決めちゃったんですよ、いつの間にか」

そんないい加減なーという語彙は当然持たなかったおれだが、不満を抱いたことは十分松陽に伝わったらしく
「もうずっとずっと前に決められてしまったので、残念ながら文句は言えないですよ銀時」
可笑しそうに言われた。

それにーと松陽は話を続けた。
「もうお一人、こちらはこの国に昔からおられる神様でー」そうして、宇賀神の話を聞かされた。
宇賀神は農業の、つまり百姓たちにとって大切な神様で、頭は老人で蛇身なのだと松陽は言い、 おれはとくじの顔に帯みたいなものをくっつけた生き物を想像して、ただでさえぞっとしない思いを味わっていたのに、
「宇賀神さまと弁天様を習合ーくっつけたお姿の神様もおられます」
なんてことまで教えてくれた。

女で、じいさんで、蛇がくっついてる。
変すぎてわけがわからない。

「それ、ほんとうに神様か?」
松陽は「ええ」と真顔で頷いたが、おれの顔を見て吹き出し
「あなたの気持ち、わかりますよ銀時」
くすくす笑い始めた。

「とにかく、蛇を神様として大事にしたり、神様のお使いとして大事にすることは不思議でもなんでもないのです」
くすくす笑いがおさまると、今度は大真面目に言い、 そのくせ
「それがどんなお姿であろうとね」
目に笑いを含んだまま付け加えた。

「とにかく、そういう風に蛇と水の神様、お百姓さんにとって大事な農業の神様は縁が深いー結びつきが強いーうーん説明が難しいですね」
目を細めて悩む(そのくせどこか楽しそうだったのが先生らしかったが)松陽に、「おれ、いつかわかればそんでいいから」 話を続けるように急かした。

嫌なことはさっさと終わらせてしまいたい、その一心で。


戻る次へ