「失礼いたします」 小太郎が袴を小気味よくしゅっしゅと鳴らしながら、松陽の元を訪れた。 「晋助に言われて来たのですね?」 「はい……」 いつもハキハキとした小太郎にしては歯切れが悪い。 原因ははっきりしている。 小太郎と一緒に来るはずのもう一人がいない。 「先生、あの……銀時は……」 「逃げたのでしょう?」 「とんでもないことです。先生がお呼びなのに逃げるなど!」 口調は強いが、なぜか小太郎自身が身の置き所もないという風情でかしこまっている。 銀時が逃げてしまったことを、我が責任のように感じているのものらしい。 「いつものことですよ。あなたが恐縮することはありません」 「はい。でも……」 「席書きのことが不安なのですか?」 察して問うと、小太郎は悔しそうに「はい」と答えた。 「今度の席書きは、銀時にとってはじめてのこと……」 少し言葉を濁し「時間はいくらあっても足りないのに」 小さく溜め息をついている。 「ありがとう、小太郎」 師から唐突に礼を言われ、小太郎はきょとんとした。 先ほどまでのしかつめらしい様子が一転、いかにも子どもらしい顔つきになる。 「こんどの世話役のことです。あなたがお母上に頼んで下さったのでしょう?」 晋助と、そして銀時のために。 おかげで晋助には張り合いのある席書きとなるだろうし、銀時は肩の力が抜きやすくなるだろう。 銀時もまた、晋助と同じように小太郎の母を慕っているーというよりむしろ、松陽と小太郎の母以外の大人にはまだ不慣れなせいもあって、警戒感を抱いている。 そしてそれを隠そうともしない。 だからこそ、逆に他の大人たちからも警戒されてしまう。 今、席替えの世話役を引き受けてくれるのは、晋助と、そして小太郎のご母堂たちしかいない。 それを知っている小太郎だからこその配慮だろう、と。 「違います、先生。母上ご自身のお考えです。わたしは、そんな……」 否定するが、正直なたちなので顔が真っ赤だ。 「そんなことをせずとも、晋助はいつも通りに立派にやれますし、多分、銀時だって……」 最後は消え入りそうになるところにも正直さが匂った。 そうあって欲しいと願いながら、やはり心配でたまらないのだろう。 「それでも、御礼を言わせて下さい。お陰で晋助はいつも以上にやる気になっていますし、銀時はー」 「銀時は、大丈夫でしょうか?」 訊いておいて小太郎は慌てた。 「申し訳ありません!お話の途中に、ご無礼を」 耳朶まで染めて深々と謝罪する。 「気になるのはよくわかります。謝る必要はありませんよ、小太郎。だから、顔をお上げなさい」 許され、顔を上げるや否や小太郎は「先生、銀時は……」と案じ始める。 それが、松陽の胸を打つ。 「さぁ、どうでしょう。あの子なりの頑張りは見せて欲しいですが、それは 銀時本人にまかせるしかありません」 松陽の言葉に、小太郎が鹿爪らしくこくこくと頷く。 本人は大真面目なのだが、今度はなんとも愛らしい眺めだ。 でも、と松陽は思う。 友を思っての志は尊いが、この子のこういうところが頼もしくもあり、心配だ、と。 今回のことに限らず、小太郎は、晋助や銀時のことで気を揉むばかりで、自分のことを脇に置きがちだ。 それでも。 きっと、これがこの子の生まれ持った性分なのだ、とも松陽は思っている。 この頑是なさで、真っ直ぐな瞳そのままに、なんら気負うことなく他者を慮ることができてしまう心ばえ。 それを痛々しく思ったり、哀れんだりするのは大人の奢りというものかもしれないのだと。 どうかこのまま、この眩しいほど直ぐな心を持ち続けて欲しい。 松陽はそう願わずにはいられない。 「それが、わたしがあなたに相応しいと思うお題です」 記された文字を見て、小太郎は晋助と同じように嬉しさに頬を朱に染めた。 けれどー。 「銀時が隠れそうな場所には心当たりがあります。今から連れてきますから、銀時の分は一緒に考えてやってくれませんか?」 こう、松陽に頼まれたときには、さらに溢れんばかりの気色を顔全体に浮かべて喜んだ。 ああ、やはりこの子は。 松陽は、自分が間違っていないことを確信した。 蘭心竹性 小太郎が大切に懐にしまい込んだお手本には、その四文字が水茎も鮮やかにしたためられている。 ※「蘭心竹性」 蘭のように気高く、竹のように真っ直ぐーという意味ですが、 正式なというかちゃんとした 四字熟語ではありません。 ごめんなさい、でも、ぴったりだと思うんです。 |