「墓のように残酷な」 6
桂は、一生懸命に走ってきたであろうトッシーの、その息せき切りようと真剣な表情を思い出していた。そこには真情があり、直向きな心があった。
それを鼻で嗤うとは!
相手がトッシーだからというだけではない。桂は誠実な者が不当な扱いを受けることが大嫌いだ。この国に住まう民草が天人によって不当な扱いを受けている現状が我慢ならないことも、
桂が攘夷に身を投じている原因の一つでもある。
「話はすんだ。おれは帰る」
これ以上銀時と会話を重ねるのはまずい。銀時の口から再びトッシーを貶めるような言葉が出るのを聞きたくない。もし聞いてしまったら、自分を抑えられるかどうか自信がない。
それにー。
「は?冗談じゃねぇ!まだ話はすんでぇねぇだろ」
けれど、銀時は乱暴に桂の腕を掴んだ。銀時は銀時で、桂が色をなしてトッシーを庇い立てするのが激しく気に入らないのだ。このまま帰してしまったら、ここに一人で取り残されたら、今以上に嫉妬で狂いそうになるのをいやというほど知っている。
「離せ!おれはまだ約束を果たしておらんのだ」
「こんな遅くまでほっつき歩いててなに言ってやがる!ふざけんな!」
「ふざけてなどおらぬわ!昼間、貴様がトッシーを怖がらせた故、またトッシーが消えてしまったのだ」
「消えたぁ?そりゃひょっとして、あれからまた土方になったとでも言うのかよ!?」
「そうだ!」実に迷惑な話だーと桂は言った。お陰で約束が果たせなかったのだ、と。桂の恨みがましい目からすると、どうやら本当らしい。
「じゃあなにか、てめっ、今まで土方と一緒だったっつーのかよ!」
「仕方があるまい。トッシーはなかなか出てこぬし、土方は……」
「二人でしっかり手ぇ繋いでたもんな!」
それで離れられなかったのだろう。周囲にあれだけの人がいて、暴力に訴えて逃げるわけにもいくまい。事情は解る。が、腹が立つなんてものではない、怒りでどうにかなりそうだ。
「先ほど、やっとトッシーに戻ったのだ。だから……」
「今から続きってか!?莫迦だろ、おまえ!」
「莫迦じゃない、桂だ!」普段と変わらず憮然と言い返してくるが、銀時はこのまま流す気にはなれない。ここから帰したら、桂はまたトッシーの所に行くと言っているのだ。そんなこと、あり得ない。あっていい話じゃあない。
ちょっと待て。今からトッシーと合流するということは……。
「おまっ、どこかにあのオタク待たせてるのか!?」
いやーと意外にも桂は頭を振って否定した。待たせてはいないし、むしろ帰るように強く言い聞かせたのだがーと。
「貴様とおれが喧嘩しないかどうか気に病んでおったのでな、なんとはなしに待っているような気がするのだ」
ほー、へー、そういうこと。トッシーの気持ちが手に取るように解るって言ってんの?そんなに理解しちゃってますか、そうですか。
「そりゃ大変なこった。こんな遅い時刻に一人きりで待たされてるなんて、びびってちびってなきゃいいけどよ」
内心怒り心頭に発しながら、銀時はあくまで軽い口調を心がけた。言葉に少しばかり刺が入り込んだのは仕方がない。我慢にだって限度というものがある。
桂は銀時の物言いにムッとしたはずだが、今度ばかりは言い返してこなかった。桂のことだ、どうせ、売り言葉に買い言葉で話が拗れてはいけないとでも考えているのだろう。真っ向から反論されても胸が悪くなるが、
こんな風にされてもー
頭にくるってぇもんだぜ!
「今日の件は近々埋め合わせをする」今更深々と頭を下げられても、トッシーのためとしか思えない。
「……わーったよ」
桂はどうとでもとれるそんな銀時の返事を詰問からの解放と受け止めたらしく、早々に立ち上がる素振りを見せた。
銀時は蜷局を巻く怒りをおくびにも出さない。「近々っていつよ?」去りゆく背中に向け、いかにも気軽な風を装って投げかけた。
「……出来るだけ早くだ」振り返り、今度も申し訳なさそうな顔をする。トッシーのためにな、と銀時は腹の中で嗤う。
「そっか。んじゃよ……今頼むわ」
今、なんと?
銀時の言葉に驚いた桂の気が逸れた。そのすきをつき、銀時は渾身の力で桂の鳩尾を殴打する。桂は、軽く目を瞠っただけで、その場に崩れるように昏倒した。操り人形の糸がぷつりと切れたように、呻き声一つ洩らさずに。
「ちょっと気が早すぎるかもしんねぇが勘弁な、ヅラ。おめぇも言ってたじゃん、おれは気が短けぇんだよ」
銀時は、足元に力なく横たわる桂を引き摺るようにして奥の座敷へと入っていった。
あっ…ん、んっん……くっ、ううっん……
途切れ途切れに洩らされる苦悶の声が、静まりかえった闇を震わせている。煌々と照る月の灯りの下、無理矢理曝け出された桂の裸身には、そこかしこに淫らな仕置きの跡が残されているが、銀時はなおも執拗に指と舌で、興がのれば歯や爪まで駆使して、
己が痕跡を刻み続ける。出来るだけ深く、そして濃く。
「ね、すっげぇー綺麗」
うっとりと呟く声に狂気が混じっているのに桂は気づけただろうか。たとえ気づけたとしても、言い返すだけの余裕は桂には残されていない。銀時によって既に奪われてしまっている。
桂の意識が浮上した時は下帯すら剥ぎ取られた状態で、両の手首がきつく拘束されていた。その上、ご丁寧に目隠しまでされている有り様。
何も見えない、判らない状態に焦る間もなく、銀時にのしかかられた。
「離せ、なんだこれは!」
「ちょっとした遊び心じゃねぇの。本当においたしてきてねぇか確認するついでに、な」
「ちょっとした遊び心で風邪でもひかされたらたまったまったもんではないわ、解け!」
「大丈夫だって、おめぇ、風邪ひかねぇじゃん」
「人を莫迦みたいに言うのはよさんか」
「だって……莫迦じゃん、それもあきれるほどの大莫迦」
「煩い!てか重い、どけ!ひ……トッシーがおれを待っておるのだ」
自由がきくはずの足は銀時の太い腕で押さえ込まれている。今、唯一、桂の意志を伝えることの出来る口を塞がれる前にーと必死に悪態を吐いた。
ここまできてしまえば、なるたけ銀時を怒らせる方がいい。 怒りに我を忘れて気が済むまで暴れれば、銀時は憑き物がおちたようにすとんと正気に戻る……はず。
怒りのボルテージが急激に上がるほど、持続する時間は短い。どうにかして銀時を煽り、焚きつけねばならない。だから、わざとトッシーの名を出した。土方と言い違えそうになったのも、無論計算の上。
ただし、相当酷い目にあわされるだろうがな。ぞっとしない思いを抱きながら、桂は腹を括った。
「ふうん……そーゆーこと言うんだ」
銀時の平坦な物言いは、桂の思う壺にはまった証。銀時の怒りを増幅させたのは桂の狙い通りなのだが、それでも、やはり無意識に腰がひけそうになる。文字通り、浮きそうになったところを
みしりと音のしそうなほど容赦なく敷布に押しつけられ、その急激な痛みに眉を顰めてる間に、急所を握り込まれてしまった。
「それ以上一言でもつまんねぇこと言ったら食い千切るぞ」
暗く沈んだ声に背筋が凍った。
まさか……本気、か!?
「いっ!」
脳髄まで痺れさせるような鋭い痛みが駆け上ってきた。嘘ではないと威嚇するように、銀時が歯をたてたらしい。
「いっ、いつ!…あっ…っつ……やめっ!ぎ、んっ!」
初めの痛みが完全に退く前に、二度、三度ーと断続的に新たな痛みが次々に送り込まれてきた。
「はな、せ!やっ、やめっ!ぎっ……いっ!」
あー、いいわ、こーゆーの。もっと聞きてぇわ。
苦悶の喘ぎの合間に桂が呼ぶのは自分の名のみ。銀時は、今や会心の笑みを浮かべながら艶めかしくのたうつ桂を見下ろしている。
「さぁて、まだバテるにゃ早いぜ?今からもっと可愛く啼いてもらうかんな、ヅラぁ?」
なーと、今度は桂の形のいい耳に思い切り齧り付けば、銀時の躯の下で痩身が苦痛に揺らめく。その様を飽かず眺めながら、銀時は桂に新たな責め苦を与え始めた。
夜は、まだ長い。
ー有り難い。どうやらまだ夜は明けていないらしい。
狂気の時をどうにか遣り過ごし、桂が深い眠りから覚めたとき、周囲はまだ夜の帳に覆われているようだった。
ろくに抵抗しなかったのがーいや、出来なかったといった方が正しいだろうー功を奏したらしい。
隣に横たわっている男は疲労困憊して寝込んでいるように見える。桂が静かに身を起こしてもピクリとも動かない。
あれだけ好き放題に暴れたのだ無理もない。眠っていれば可愛いものだがな。
桂は自由になってる両手首を交互にさすりながら、肩で息をついた。
手首が解放されているだけではない。身体は清められ、薄物を着せられている。桂には解っている、きっと銀時は好き勝手暴れた後になって酷く後悔し、落ち込んだのに違いない。無論、今だって。
闇の中、見えるはずのない銀時の泪の跡さえ桂には見える。
いつもの桂なら、銀時が目覚めるのを隣で待ち、後悔と不安を隠しもしない大きな子どもに「大丈夫だ」と告げてやるのだけれど。「大丈夫だ、気にするな」と
その大きな身体を抱擁し、慰めてやるのだがー。
……今は、無理だ。
桂は休息を望む身体を無理矢理褥から引きはがし、銀時が目覚める前にと万事屋を抜け出した。
目を覚ませば、銀時はきっと全身全霊を傾けて桂に許しを請い願うだろう。ぶっきらぼうに、そのくせ泣きそうになって謝ってくるだろう。だがー
今は、謝ってなどいらぬ。銀時に謝られてしまったら、おれはきっとまたすぐに許してしまう。それは、避けたい。今度ばかりは遣り過ぎたことを思い知らせてやらねばなるまい。そうでもしなければ、銀時は
結局は自分を責めて責めて、傷つくばかりになるのだから。
今度という今度は”節度”というものを教え込んでやらねば!
歩くのもやっとなほどに身体中を走る痛みが、まるで銀時の痛みのように思えてしまい、万事屋にとって返したい思いにかられる度、そう己に固く言いきかせながら、桂は夜明け前の街を出来るだけ速く歩いて行く。
銀時から、後ろ髪を引かれる思いから、なるたけ速く遠ざかってしまおうと。
頼むからおれを待っていてなどくれるなよ、トッシー。
そう、願いながら。
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