「墓のように残酷な」 7



乱れた足音が近づいてくるのに気づき、土方は音のする方を注視した。闇に紛れて姿は見えないが、確かに誰かがこちらに向かって来る。 ヅラ子さんであって欲しい、と土方は願う。待つ、待たないの押し問答の末、今日いっぱいだけーとの約束をして、ヅラ子を送り出してから随分たつ。 今日がとっくに昨日になり、明日が今日になってしまってからも、ヅラ子は戻ってこない。 一度、ふと日が変わってしまったのだから、ヅラ子は万事屋を出てもここには来ないかもしれないと思った。が、すぐ打ち消した。ヅラ子は必ず戻ってくる。 トッシーを心配して、自分を待ってやしないだろうかとヤキモキしながら駆けつけてくるに違いない。
だから、待っている。
待つのはいい。暗闇の中立ち続けるのも職業柄慣れている。どちらも苦にならない。 が、ヅラ子の身の上が心配だ。
こんな時刻になっても戻らないなんて、あの人の性分からは考えられねぇことだ。万事屋の野郎に足止めされてるとしか思えねぇ。やっぱ行かせるんじゃなかったか。
心配と嫉妬でイライラが募るが、煙草に逃げるわけにはいかない。今、自分はトッシーなのだ。
日中、突然現れた万事屋に軽く脅されただけで引っ込んでしまったもう一つの人格は、この身体の奥深く闇に怯えているに違いない。 急に土方として覚醒した時にはヅラ子と見知らぬ街中にいたことに驚きはしたが、これが多分、ヅラ子の言っていた”礼”だろうと察し、有り難くその僥倖を譲り受けることにした。 ヅラ子はあからさまに迷惑そうな顔をしていたが、しっかりと手を繋いでいたのが運の尽き、渋々といった態であったものの、 結局は自分の意のまま二人連れで動くことになったのは土方にとっては新鮮な喜びだった。 とは言っても、土方にしても不案内な場所でのこと、しかもトッシー好み、せいぜいがヅラ子と肩を並べての 道行きを一人楽しむ程度ではあったのだが……。少し羽目を外しすぎ、思いの外長くヅラ子を拘束してしまった。
おれがもっと早くに気づいてさえいればな。
吐き出せない紫煙の代わりに溜め息が出る。好き勝手引っ張り回している間、何度も「トッシーはどうしている?」と訊かれたのは、自分といるのが嫌さ故ーと思っていたが、いや、実際そうだったには違いないが、むしろ、 約束の履行を気にかけていたせいだと今なら解る。 「さてなぁ、まだビビってすっこんでるみてぇだ」とはぐらかしてはいたが、実は トッシーの方も隙あらば自分に何か訴えようと躍起になっているのは感じていた。そして、そんなことは初めてだったことにも。なのに……。
「いい加減ヅラ子たんを坂田氏の所に行かせてあげる欲しいでござる、土方氏!」
日が暮れて、とうとう業を煮やしたらしいトッシーの悲痛な叫びが、直接己の裡から響いてくるまで無視していた。
行かせてあげるて欲しいでござる!って言われてもなぁ……。
事情が解らない土方にはなんのことだかさっぱりで。 しかも行き先が万事屋とくれば、無視したくなるのも無理からぬことではあった。
それでも、不本意ながら同じ身体を共有しているだけあって、トッシーの執拗なアプローチは徐々に土方の心を浸食し、ついにシンクロしはじめるに至って、 土方は、突如、ヅラ子が抱えている問題を全身で理解した。
万事屋!そういうことか!
事の重大さに気づいた土方は折れた。
「あの……ヅラ子さ……たん?」
トッシーのふりをして、ヅラ子を解放してやろうと決めた。トッシーに入れ替わるのはさすがに業腹なので、あくまで代弁という形ではあったにせよ、土方にしてはかなりの譲歩だ。
「トッシー!戻ったのか?」
正直、全力で否定したかったが、ヅラ子に心から晴れやかな顔をされては仕方がない。
「遅くなって申し訳ないでござる。ヅラ子さ……たん、まだ万事屋に行かなくていいでござるか?」
多少、顔が引きつり気味になったかもしれないが、精一杯情けない芝居を続けた。これも、ヅラ子のためだ。
「申し訳ないのはおれの方だ。さすがのおれも土方に面と向かって万事屋に行くとは言えんでな、トッシーに戻ってくれるのを待っておったのだ」ヅラ子は簡単にド下手くそな土方の芝居に 騙され、「やむを得ん、少し顔を出してくる。続きはまた改めて、な」トッシー相手にも丁寧に頭を下げてきた。
「近くまで送っていくでござるよ」
「ああ、そうだな。近くまで一緒に戻ろう、ありがとうトッシー」
自分には滅多に見せないーそれどころか金輪際拝めそうもないー優しげな顔をされてしまい、万事屋だけでなくトッシーにすら嫉妬しそうになった。
けれど、どちらからともなく手を取り合い、肩を並べて歩く内、そんなことはどうでもよくなった。大事なのはこうやって二人で過ごしている今だ、とそう思えた。 それだけに、いざ、自分を待たずに帰るようにヅラ子に言われると、簡単に諾とは言えなかった。押し問答の末、日付が変わる頃まで待ってもヅラ子が戻らなければ、まっすぐ屯所に戻る、で落ち着いた。 「いつからそんなに押しが強くなったのだ、トッシー」
ヅラ子は随分と不服そうではあったが、土方は押し切った。
「拙者は大丈夫!だから、ヅラ子たんは気にせず坂田氏の所に言ってあげるでござる」
心にもない科白で背を押し、しぶるヅラ子を、ともすれば引きつりそうになる頬を無理に笑顔に作り替えて見送った。 心配そうに何度もこちらを振り向いていたヅラ子の顔がまざまざと思い出される。
あん時、無理にでもくっついて行っときゃよかったか。
出来るはずのないことを思って後悔しても、全ては後の祭り。後悔の念で頭がはち切れそうになったとき、待ちに待った足音が聞こえてきた。
やがてー
闇に凝らした目が、ぼんやりとヅラ子の姿を捉えた。
ヅラ子さん!よかった!無事だったか。
安堵した瞬間、自分がヅラ子に向かって大きく手を振っていることに、土方ははじめて気がついた。

まさか。
桂は我が目を疑った。こちらを向いて、大きく手を振っている男の姿は幻覚ではないかと。だが、違う。 一歩、また一歩と歩む度に 激痛の走る足を前へ運ぶごとに、男の姿は段々と大きく、そしてはっきりと見えてくる。
トッシー!
桂は思わずその場に立ちすくんだ。
おれを待ち続けるなど、なんて莫迦な真似を!
なのに、何故だか泪が零れそうになり、慌てて堪えた。
急いで側に行かねば。安心させてやり、それからー。
ゆっくりと、それでも確実にトッシーに近づきながら、桂は思いを巡らせている。これから言わねばならぬこと、せねばならぬことを。 全ては自分が銀時にどう扱われたかを悟らせない為に。
あの莫迦のせいで、全く。
こちらに駆け出して来そうなトッシーを慌てて手で制し、そうやって稼いだ時間で気力をかき集めると、桂は背筋をしゃんと伸ばした。

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