「墓のように残酷な」 10
だが、幸いにも土方の懸念通りにはならなかった。ヅラ子は瞬時に手を上げはしたが、それは土方に振り下ろされることなく空で止まり、やがて静かに降ろされた。
どういうこった?
訝しく思った土方がヅラ子を見下ろすと、あろうことかー
笑っていた。目をぎゅっと瞑り、全身を小刻みに震わせながら、静かに笑っている。
なんでだぁ!?いま、笑うとこか!?
「き、に、する、な。笑ってなんか……な、いぞ?い、いや……、マジ、だ、からっ!」
どこがだ。嘘吐いてんじゃねぇよ!滅茶苦茶笑ってるじゃねぇか!
でも。ヅラ子本人にも場違いな行動をとっている自覚はあるらしく、多少申し訳なさそうに、なんとか笑いを堪えようとしているのは可愛らしいとも言える眺めだ。
口には出せないが。出したら今度こそ殴られる。いや、船から突き落とされるくらいの目にはあさわれる。
悪さをしようとして見咎められた気まずさを感じる余裕もなく、土方は、なお途切れ途切れに「笑ってない!」と言い張るヅラ子の震える肩先を呆然と見つめていた。
一方の桂は土方の見立て通り、笑いを堪えるのに必死だった。実際は堪えられていないのだが、それでも努力は続けている。
土方が何をしようとしていたか、眠ったふりをしていただけの桂には手に取るように判ってしまっていたのだけれど。
そうして、笑っている場合ではないのは重々承知なのだけれど。でも。
だめだ。止まらん。
土方が、あろうことかトッシーのふりをしてその場を凌ごうとした時、桂は本気で腹を立てていた。
普段は貶めておるくせに、斯様な時ばかり騙りおって。
殴り飛ばす気満々で手上げたのだが、気が変わった。というか殴れなくなった。
不思議そうに自分を見下ろしているその顔を見ると、また新たな笑いが込みあげてくる。
「トッシー……、おまえ……」
だめだ。上手く喋れん。
トッシーと呼ばれた土方が、更に不思議そうな顔をするが、それでいいと今は桂もそう思っている。
目の前にいるのはトッシーだ、と。
だって、そうではないか。あの土方が、必死になってトッシーのふりをしているだなんて。それに、本人は気づいてないようだが、
左の頬にくっきりと赤い跡がついているのがなんとも似合わないというか、間抜けというか。そう、鬼とも呼ばれる真選組の副長の片頬に赤々とついている跡が、血糊でもなく、ましてや女の紅でもなく、
ただの畳の目だなんて。
普段、どこかすかしているような土方だからこそ、実に間が抜けていて、殴ろうとした手も止まるというもの。
そうなると、先ほどは腹立ちの種だったトッシーのふりへの感情も変わってくる。
もっと上手くやればいいものを、下手くそすぎる芝居を打ってしまう不器用さが、トッシーの懸命さに通じて愛おしい気さえする。現に、今、自分を見下ろしている怪訝な顔は、
おどおどしている時のトッシーそのままだ。
ああ、おまえはいつだってそこにいるのだな。
やはり、身体を共有する者同士なだけはある。しみじみとそう思った。
今、貴様は土方だろうと糾弾するのは、野暮というもの。ああ、そうとも。おれが土方にとってあくまでヅラ子であるのと同じ。
「トッシー」やっと笑いを沈めきり、「ここに何をつけておる?」赤い痕を指でそっと撫でてみた。
途端、顔一面を真っ赤にするのもそっくり同じで。
ああ、なんだかもう……。
「ヅラ子たん?」
赤い顔のまま訝しむ土方の、否、トッシーの、先ほど指でなぞった頬に引き寄せられるようにしてー
唇で触れた。
愕きに全身を強ばらせた男の目の底に確かに婬情が一閃したのを、桂ははっきりと認めた。
刹那の驚愕が去ると、今度は絶え切れない疼きが土方を強襲した。離れていくヅラ子の両頬に手をかけて引きもどすと、強引に唇を重ねた。
性急な遣り方にヅラ子が戸惑う隙を与えず、呼気すら奪うように長く、深く、捻り合わせた。
「……っ」
どこか痛んだのか、ヅラ子が小さな呻きを洩らしたが、土方は耳を貸さない。貸す余裕が、ない。それすらも吸い取るようにひとしきり紅唇を貪り続ける。
その甘さを惜しみながらも解放した時には、咎めるような眼差しがあった。
「おれは怪我人だぞ?」
そのくせ、からかうような眼差しはやけに挑発的だ。
タチ悪ぃ……。
「誘ったのはそっちだろうがよ」
「言葉遣いが悪いぞトッシー。目つきもだがな」
ほっとけ!
「ついでに手癖も悪いって加えといてくれ」
帯締めをなんとかもぎ取り、帯を緩める。易々とは崩せそうにない衿元は一旦諦め、裾を大きくからげると、線の美しい脚が現れた。ぬめるような白さが目に眩しい。
誘い込まれるように這い降りた手が奥へ奥へと進む無遠慮な動きに、ヅラ子が身を固くする。
「ま、まてっ、や、めっ!」
切れ切れの逼迫した声があがるが、土方は全く意に介さない。
待てねぇ!悪ぃがもうとまらねぇ!
目当てのものを探り当て、先端を揉みたてて先走りを誘う。粘ついた液がとろりと手を濡らすと、矢も楯もたまらず吸い付いた。咥え込み、舌をからませ唇で扱く。
ヅラ子の
呼吸が段々とせわしない喘ぎへと変わっていき、やがてー。
「いっ、あっ、ああっ、あっ!」
耳を嬲るような甘やかな声を上げ、果てた。
土方は口中で爆ぜた迸りをそのまま飲み下した。かつては芝神明や葭町に足を向ける輩を奇癖の持ち主としか
思えなかったはずなのだが、ごく自然にそういう行為に及んだ自分に、驚きすら覚えなかった。今の土方には、
この愛おしい者を思うさま愛したいーという疼きしかない。湧きつづける高ぶりに唆されるまま、緩みかけたヅラ子の衿元に手をかけた。
「よせ、やめろ!」
なにを今更!
押しとどめようとする叫びは聞き流した。止めようとする手もかわし、今度こそ左右に大きく開いたが……。
土方は、我知らず息をのんだ。
さらけ出された輝くような裸身には、愛咬のーというにはあまりに痛々しい深紅の痕がそこかしこに鏤められていた。
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