「墓のように残酷な」 11
「だからやめろと言ったのだ」
落ち着いた声に、土方の呪縛が解けた。詰めていた息を吐き出し、汗を拭う。
「酷ぇことしやがる……」
「気にするな、慣れておる」
慣れてどうする。
「……痛まねぇのか?」
訊いて、すぐ気がついた。痛まないわけがない。
「だから止せと言っている。なのに、耳は貸さぬし、手は払いのけるしー」びしびしと容赦ない。
「……すまねぇ」素直に言えた。どうして酷いのは手首の傷だけと思い込んだか。
「これでよく歩けたもんだ」
見れば見るほど、ゾッとする。が、ヅラ子は「慣れておるのでな」と、あくまで軽い。「確かに、今回はちとはぁどだったがな」とは言うけれど。
「今回はーって……」さすがに呆れて言葉が続かない。
「あの莫迦は、きさ……土方がおまえのふりをしていることに気付いたのかもしれん」
その莫迦呼ばわりしてる奴が気付けることにてんで気付けなかった己のことを棚に上げ、ヅラ子は困ったように口をへの字に曲げている。
「だから、少し頭に血が上りすぎたのであろうよ」
少し?これで?
「昨日も言ったが、普段は奴もここまで莫迦はやらん。満足に動けないような状態のおれが芋どもに出くわすことを考えてみろ、さすがの莫迦も寝覚めが悪かろうが」 芋などには捕まらんがなーとバッサリだ。
土方は「ちゃんと謝らせてんのか?」と訊くのがせいぜいだ。
「謝らせる?おれがか?」
ひょっとして、今までなぁなぁできてんのかよ。万事屋の野郎め。
「今回ばかりはおれは心底怒っておるのだ」
言ってる意味が解らない。が、心底怒っているというのは本当らしく、尋常ではなく美しい顔が珍しく翳った。
「だから簡単に謝らせてなどやらん」
それはどういうー?と訊くまでもなく、ヅラ子は鬱憤を晴らすように、蕩々と語り始めた。
「今頃はさぞ落ち込んで、さすがのあ奴も真っ青になっておる頃だ。だがな、ここで謝らせてしまってはいかん」
「なんでだ?」
「おれは銀時に謝られると弱い。必ず許してしまう。昔からな」
名をハッキリ出された挙げ句、弱いとまで白状され鼻白んだ。しかも昔から、ときたもんだ。それでも、土方はヅラ子の話に耳を傾け続けた。
「ここで許すと、必ず調子に乗る」
ありそうな話じゃねぇか。
「だから、最低2週間は放置ぷれいだ。あやつの反省はせいぜい3、4日が限度。そのたいみんぐをはかり損ねて、うっかり姿を見せようものなら清々しいまでの逆切れが拝める」
最低だな、万事屋。
「その、何もかもをおれのせいにして拗ねる逆切れ期間は結構長い。1週間から10日ほどは続くとみて間違いない」
反省期間より逆ギレ期間の方が長いのが、いかにも過ぎて、土方は納得せざるを得ない。
「その後は」そこで、くすりと笑い「姿を見せないおれのことが気になって……
「そこいら中を探し始めでもするのか?」
ヅラ子は軽く頷き、「数日探し回った挙げ句、ついには神仏に祈り出す」
なんだそりゃ。
「武運長久を願ったことすらないくせにな」ポツリと言って、「顔を出すならその頃が一番有り難みがあろう?甘みでも持って行ってー」
「叱るのか?」
それとも、恨み言の一つも言うのだろうか。
「そうだな、茶でも煎れてやるか」
どうしてそうなる!?
「あからさまに安堵して浮き立っておるくせに、本人は上手く隠してるつもりなのだから可愛いものであろう?叱る気も失せるわ」
「よく……解らねぇな。あんたらは一体全体どういう関係だ?」
情、には違いないが、当てはまる言葉がさっぱり見つからない。
「解るまいよ。正直、おれにもさっぱり解らんのだからな」
どこか人ごとのように淡々と言われては、返す言葉もない。
「おい、何してる?」
気付くと、ヅラ子が衿元を直そうとしている。見咎めて、その手をやわらかく邪魔した。
それが意外だったのか、ヅラ子はきょとんとした表情で見上げてくる。
「まだだ。まだ、全然足りねぇだろ?」
とんでもないと言わんばかりにふるふると首を振るヅラ子に、土方は「おれがな」と笑って見せた。かなり人の悪い顔をしている自覚は、ある。
ぎょっとしたような表情で見返してくるが、今度ばかりは土方も動じない。
「嫌だ、と言ったら?」
「無理矢理にーってのはやりたかねぇんだがな」
万事屋と同じにゃなりたくねぇ。けど……。
「怪我人相手にか。貴様、それでも武士か?」
責めるような言葉だが、口調は軽い土方の葛藤を知った上でからかっているのかもしれない。
ー憎らしい。ここで言いくるめられてたまるか!
「武士?忘れたのか?あいにくおれはただのオタクだ。それに……この程度のことには慣れてんだろ?」
さっきそう言ったよなーと念を押す。
「……なんでそう上から目線なんだ」
自分の言い分を逆手に取られて反駁出来ないのだろう、ヅラ子は、やや八つ当たり気味だ。
そりゃあんたの専売特許だろうが。
それこそバットで打ち返してやりたい勢いでそう思ったが、土方には口にしないだけの分別がある。下手に逆らって拗れてはまずい。だから、黙って続きを待った。
「……よかろう」数分の後、諦めたようにヅラ子が言った。「だが、条件がある」
「条件?」
「そうだ。これっきり、最初で最後だ。いいな?」
「……わかった」
全然よくはないが土方は渋々条件を呑んだ。ヅラ子がその返答に頷いたので、衿元を抑えている白い手を引きはがしにかかったが、逆に手をしたたか打たれた。ぺちり、といい音がした。
「急くな。まだだ、まだ2つ」
「上から目線はどっちだ。早く言え」
1分、1秒が惜しい。
「急くなと言うのに。……もう、妙な芝居はするな。偽者が店にきても相手はせん」
「最後は?」
「船から下りたら一切を忘れてなかったことにしろ。よいな?」
「だからって、今、おれを船から突き落とそうなんて考えんなよ?条件はのむからよ」
「……ちっ」
舌打ち!?まさか本気でやる気だったのかよ!
「この体勢でか?おいおい、冗談はー」
軽くいなしかけた言葉は最後まで言えなかった。ヅラ子が何食わぬ顔で目の前に爆弾を差し出し、土方を見据えて口元だけで笑っている。
「……わかった、わかった!条件はのむっつてんだろーが。だからそれ、こっちに寄越せ!」
まったくどこに隠し持ってたんだか。
「後で返せよ?」
しぶしぶ差し出された爆弾を無言で取り上げ、意固地に寄せられている眉根を親指の腹で擦った。反射的に両目が閉じられたのを合図に、
土方は今度こそヅラ子の衿元に手を置いた。遮ろうとする手が伸ばされてこないことに我が意を得ると、ひと思いに剥き下げた。
ほっそりと、一切の無駄が削ぎ取られた瑞々しい姿態に、苦しいほどの昂ぶりに誘われる。
「桂……」
「桂じゃない、ヅラ子だ。おまえがあくまでトッシーであるように」
陶然と掠れ声で呟いた土方を宥めるように、桂ーヅラ子ーが囁いた。
逃げも隠れもできない姿にされてなお、憎々しいほどに落ち着いた声すら、土方の渇望にかつてないほどの揺さぶりをかける。
「好きだ」
「……知っている」
初めて言葉にされた真情に不意を突かれたらしく、さすがのヅラ子の返答も僅かに揺らめいた。
土方は、その揺らぎに乗じるようにして、焦がれ続けた黒髪に手をかけた。
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